智恩寺(ちおんじ)宝塔(国東塔)

 智恩寺(ちおんじ)(大分県豊後高田市鼎 智恩寺)

   智恩寺は、伝説的 僧 仁聞(にんもん)菩薩により養老二年(718)に開かれたと伝える。国東 六郷満山 第六番札所。

智恩寺(ちおんじ)宝塔(国東塔)(県指定文化財、南北朝時代前期、安山岩、塔高 235Cm)

笠上端の露盤、側面は三面が一区で内に格狭間、一面が二区格狭間
智恩寺は無住の寺院で、国東塔は境内に立っている 塔身、壺型で低い首部を作り出す。側面は無地で、上部に納入孔を穿つ

形は工芸的、傾斜はやや深く、両端で強く反る。軒下に垂木型はなく、上端に露盤を刻出する。

相輪は下から、伏鉢・請花・九輪・請花・火焔宝珠で、宝珠に薄く火焔がつく。石塔に刻銘はなく、造形的に南北朝 初期の作品と見られる

反花・請花

反花は基礎と一石で作り、別石の請花を載せる。両方とも単弁の蓮弁が美しい。この塔の特色である。

塔身上部の納入孔から、内部の空洞に通じる。中世の智恩寺は、大友氏一族の小田原氏が院主を務め、六郷満山に強い影響を持った

基 礎

上端の反花と基礎は一石、側面は四面とも二区に分かち、内に格狭間をつくる。

基 壇

基壇は二段。特に上段は、一石の切石で作られ、石工のこだわりを感じる

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智恩寺(ちおんじ)宝塔(国東塔)(県指定文化財、南北朝時代前期)

広い境内に置かれ、存在感を示す。また、工芸的に優れ完存する。

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*JR日豊本線 宇佐駅前から大分交通バス 豊後高田行きに乗車、終点「豊後高田バス停」下車、東方向へ約4Km。

(撮影:平成23年3月16日)