熊野墓地(くまのぼち)宝塔(国東塔)

 熊野墓地(くまのぼち)国東塔(大分県豊後高田市田染平野)

   熊野墓地の中央に立つ国東塔で、塔身に長文の銘文があり、逆修塔として南北朝時代中期 応安八年(1375)に造立された。

熊野墓地(くまのぼち)宝塔(国東塔)(県指定文化財、南北朝時代中期 応安八年 1375年、凝灰岩、高さ 310Cm)

、二区格狭間の露盤は新補、軒下に一重の垂木型、軒は両端で反る
熊野磨崖仏の駐車場から、磨崖仏と逆方向に行くと熊野墓地がある 塔身首部、首部は一段で、納入孔が穿たれる

塔 身

中央部が膨らむ太鼓型で、長い銘文を刻んでいる

塔身の銘文 (1)[銘文 (2)へ続く]

「敬白、奉造立六郷熊野山石塔事、右宝塔志者為願主 良秀、秀悦 廣弥 正慧 玄熊」「幸慶 蓮秀 祐賢 良棟、

明秀 定賢 道鑑、宝吉 惟平 影光 浄一」「衛門大郎 左近五郎 十郎、六郎三郎 諸大郎 心遠妙忍」

「敬白、奉造立六郷熊野山石塔事」と書き出し、一結衆 二十二名の交名を並べる。

塔身の銘文 (2)[銘文 (3)へ続く]

「口口主降位面々逆修為現当、二世心中所願皆令満足過去、七世親類霊等往生浄土」「乃至法界浄仏得道所奉、

口口口刻口此壱基之石塔如件」「応安八天(1375)乙卯麦秋上旬、大工道心五郎大郎」

面々の生前供養(逆修)の為、現当二世心中所願、皆令満足、過去七世親類の浄土往生の為、この石塔一基を応安八年(1375)麦秋(陰暦四月)

に造立した。大工名「道心五郎大郎」の名が刻まれている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

紀年銘(応安八年:1375年)と大工名(道心五郎大郎 銘文(3)「結縁分刑部四郎紀小太郎正順」「大願主各、敬白

笠は大破したものを、近年修理して現在の形になっている。上端の露盤も修復された。

相輪は下から、蓮弁文様の伏鉢、請花、九輪、請花、火焔宝珠で、宝珠を損傷するが、ほぼ完存する。

反花・請花

反花は複弁の蓮弁、請花座は覆輪つき単弁の蓮弁を刻む。

石面を水磨きして入念に仕上げている。この大工の仕事は、皆同じ磨き方がしてあるとの事。尚、二段の基壇は、新しく作られている。

基  礎

側面は、二区で夫々、陽刻の格狭間をつくる

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熊野墓地(くまのぼち)宝塔(国東塔)(県指定文化財、南北朝時代)

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*熊野磨崖仏の駐車場から、磨崖仏と逆方向に行くと、案内標があり、その方向へ行くと熊野墓地がある。

(撮影:平成23年3月16日)