胎蔵寺墓地(たいぞうじぼち)国東塔(大分県豊後高田市田染平野)
胎蔵寺墓地の中央に立つ国東塔で、塔身に室町時代後期 大永七年(1527)の銘がある。
胎蔵寺墓地 宝塔(国東塔)(市指定文化財、室町時代後期 大永七年 1527年、凝灰岩、高さ 155Cm)
熊野磨崖仏駐車場から、磨崖仏と逆方向に行くと熊野墓地があり、熊野墓地の後方に胎造寺墓地が形成され、中央に国東塔が立っている |
相輪は最下の、伏鉢・請花が方形、続く九輪が七輪で簡略化され、檫(さつ)が長く、請花、宝珠と続く
笠
軒口薄く、軒反も弱い。上端に低い露盤をつくり、下端に垂木型はない。
塔 身
肩の張った壺型で、上端に首部を作る。四面に、金剛界四仏の種子が細い字で刻まれている。
塔身の紀年銘:「大永七年(1527)八月十七日」 | 塔身、阿弥陀の種子「キリーク」の下に「法印忍秀」と刻む |
塔身の刻銘
金剛界四仏 阿弥陀如来の種子「キリーク」の下に「法印忍秀」、その横に室町時代後期 「大永七年(1527)八月十七日」と刻む
基礎・基壇
基壇は一段、基礎は上端に無地の反花を刻出する
国東塔は小型で、相輪は簡略化され、笠は薄く、塔身の四方仏種子は弱い文字で刻まれ、室町時代の作品であることを物語っている |
胎蔵寺墓地(たいぞうじぼち)の石造遺品
胎蔵寺墓地(たいぞうじぼち)石造宝塔
基礎は上端に反花座をつくり、塔身に首部はない。笠は緩やかに反り、上端に低い露盤、下端に一重の垂木型を刻出する。
相輪は、伏鉢はなく、請花の背は高い。九輪は八輪で、上の請花・宝珠は文様が刻まれていない。室町時代の作品と思われる。
二基とも、基礎上端は三段、塔身は輪郭を巻き、彫り沈めた月輪内に四方仏を刻む。笠は、下三段、上五段、相輪の最下部が特徴的 |
胎蔵寺墓地(たいぞうじぼち)宝篋印塔
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*熊野磨崖仏の駐車場から、磨崖仏と逆方向に行くと、案内標があり、その方向へ行くと熊野墓地があり、後方に胎蔵寺墓地が形成されている。
(撮影:平成23年3月16日)