元宮磨崖仏(もとみやまがいぶつ)[大分県豊後高田市田染(たしぶ)真中]
中央の不動三尊(制叱迦童子は剥落)を中心に四天王の二尊、多聞天(毘沙門天)と持国天が脇を固める。地蔵は追刻。
元宮(もとみや)磨崖仏 (国史跡、鎌倉時代後期~南北朝時代、凝灰岩、不動明王 高さ 203Cm)
向かって右から、毘沙門天(多聞天)、矜羯羅(こんがら)童子、不動明王、持国天、地蔵(追刻)で、各立像を半肉彫りする
毘沙門天(多聞天)立像(向かって右端)
北方の守護神で、甲冑をつけ、右手に宝棒、左手に宝塔を捧げ持つ。施福の神として七福神の一人に数えられる。(高さ 212Cm) |
矜羯羅(こんがら)童子(向かって右から二体目)
矜羯羅(こんがら)童子(高さ 105Cm)は、不動明王の脇侍として制叱迦(せいたか)童子と一対に刻まれるが、制叱迦童子は剥落している。 |
矜羯羅(こんがら)童子の形は、通常、蓮華の冠を被り、両手は合掌し、親指と人差指の間に一股杵を挿す。
元宮(もとみや)磨崖仏 (国史跡、鎌倉時代後期~南北朝時代、凝灰岩)
不動明王(ふどうみょうおう)立像(中央)
不動明王は、右手に三鈷の剣、左手に羂索を持ち、左目は半眼、右目は開き、巻髪を弁髪に束ねて左肩に垂らす。(高さ 203Cm) |
大日如来の化身と云い、大日如来に従わない衆生を教化する。五大明王、八大明王の一。
元宮(もとみや)磨崖仏 (国史跡、鎌倉時代後期~南北朝時代、凝灰岩)
五尊の上方や下方に穴があり、もとは屋根をつくり床を張った覆屋があった
持国天立像(向かって左から二体目端)
持国天は四天王の一で、東方の守護神、国土を護持する天王。右手に刀を持ち、甲冑をつけた武将の姿で表現される。(高さ 188Cm) |
元宮(もとみや)磨崖仏 四体(国史跡、鎌倉時代後期~南北朝時代、凝灰岩)
面部の造形が写実的で、鎌倉時代後期~南北朝時代の作品と思われる。
地蔵菩薩立像(向かって左端)
地蔵菩薩立像は、追刻と見られている (高さ 122Cm)。現地説明板では、声聞形(しょうもんがた)尊像と説明されていた。 |
元宮磨崖仏(もとみやまがいぶつ) (国史跡)
覆屋は、平成13年(2001)4月に、地元民の願いで完成した。
尚、現地説明板では、磨崖仏の造立が室町時代となっている。
*公共交通としては、豊後高田市の市民乗り合いタクシーがある。豊後高田市商工会議所から市役所経由で、「田染中村」下車、元宮八幡宮の北隣。当方は、宇佐神宮前の「宇佐観光協会」で電動レンタサイクルを借りて回った。
(撮影:平成23年3月16日)