釈迦堂跡(しゃかどうあと)宝篋印塔

 釈迦堂跡(しゃかどうあと)宝篋印塔(大分県豊後高田市田染真中)

  塔身に再建の記録を残した宝篋印塔で、当初は南北朝時代 後期の永和五年(1379)に造立されている。

釈迦堂跡(しゃかどうあと)宝篋印塔(南北朝時代後期 永和五年 1379年、凝灰岩、高さ 390Cm)

巨大な宝篋印塔は、真木大堂の北、田園の中に立っている 相輪は、江戸時代中期の再建時に作られたと思われる

段型は下四段、上五段で更に露盤があり、露盤側面は輪郭を巻き内に格狭間を線刻する。隅飾は、二弧で直立する

隅飾りは一個だけ残り、別石で作られている 三段の基壇上に安置され、後補の塔身に再建の記録が残る

塔身の刻銘

塔身二面に再建時の刻銘があり、「永和五年(1379)に造立されたこの石塔は、貞享三年(1686)の大風により破損し、

宝暦八年(1758)に、真木村下組有志により再建された」ことがわかる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

刻銘:「又此石塔者往昔永、和五己未年(1379)造立之、大塔也中古貞享三、丙寅歳(1686)大風破損而、

経星霜久敢無再興、族今也宝暦八戊寅(1758)、之初冬発微信之輩、卒再建此塔者也」

塔身の刻銘

刻銘:真木村、大願主、下組中」

基  礎

基礎上端は四段、側面は四面とも無地

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釈迦堂跡(しゃかどうあと)宝篋印塔 (南北朝時代後期)

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*真木大堂から北方向へ少し行くと小さな案内板があり、右手(東方向)の田園の中に立っている。

(撮影:平成23年3月16日)