平尾(ひらお)神社(大分県豊後大野市千歳町新殿651)
塔身に長文の銘文を刻んだ宝塔で、南北朝時代前期 暦応三年(1340)の紀年銘がある。
平尾社(ひらおしゃ)石造宝塔(県指定文化財、南北朝時代前期 暦応三年 1340年、凝灰岩、高さ 203Cm)
笠、大きい露盤は二区竪連子、軒下に一重の垂木型、軒は両端で反る | ||
石造宝塔は、拝殿に向かって左手側奥に安置されている | 塔身首部、首部は一段で、後部に納入孔が穿たれる |
塔 身
中央部が膨らむ太鼓型で、長い銘文を刻んでいる
塔身の銘文 (1)
「平尾社」「奉納如法経二部、幷四要品」「右志者奉為天長地久、御願円満兼郷内安穏、諸人快楽結縁諸衆、助成合力尊卑現当」
塔身の銘文 (2)
「二世悉地成就円満、乃至法界平等利益」「仍起立如件」「暦応三年(1340)庚辰九月十五日」「法橋円与、沙弥乗延」「大工絆五、大勧進僧口界」
長い願文を刻み、如法経二部を平尾社に奉納する。南北朝時代前期 暦応三年(1340)の紀年銘、大工、勧進僧名が記されている。
基 礎 正 面
壇上積式の基礎で、側面は二重輪郭内に格狭間をつくる
相輪は下から、蓮弁文様が二段の伏鉢、請花はなく、九輪は四輪、その上は欠失する。形状から見て、九輪は当初から四輪であった |
一説に同じ新殿にあったとされる、龍興寺を廃す際、その経典をこの宝塔に納めたといわれている。
基 壇
二枚の切石からなる基壇で、当初のものと思われる
平尾神社 拝殿
宝塔は、拝殿に向かって左側奥に安置されている
石造宝塔 紀年順 | 浅古(あさご)石造宝塔(南北朝時代前期) | 石造宝塔-紀年順-目次 |
*「大迫石仏」から南西方向へ約1.8Km。
(撮影:平成23年3月12日)