財前家墓地(ざいぜんけぼち)宝塔(国東塔)

 財前家墓地(ざいぜんけぼち)国東塔(大分県杵築市大田小野1609)

   財前家墓地の中央に立つ国東塔で、塔身に長文の銘文があり、逆修塔として鎌倉時代後期 元応三年(1321)に造立された。

財前家墓地(ざいぜんけぼち)宝塔(国東塔)(重要文化財、鎌倉時代後期 元応三年 1321年、安山岩、高さ 302Cm)

露盤、側面は、二面が二区格狭間、二面が二区竪連子
多くの国東塔が群在するなか、最大の国東塔で、墓地中央に立つ 塔身首部、首部は一段で、納入孔が穿たれる

軒は両端で、上に強く反る

相輪は下から、蓮弁文様の低い伏鉢、請花、九輪、請花、火焔宝珠。国東塔は墓地中央に立ち、荘重で存在感がある。

塔 身

肩の張った壺型で、側面には大きな文字で、塔身を一周して銘文を刻む

塔身の銘文 (1)[銘文 (2)へ続く]

「敬白」「奉造立石塔、一基」「右志趣為現、世安穏後世」

「敬白、奉造立石塔一基」と書き出し、現世の安穏を願っている。(逆修塔として造立されたことがわかる。)

塔身の銘文 (2)[銘文 (3)へ続く]

「菩提出離、生死法界」「衆生也、元応第三」「祀(1321)歳次、庚酉

元応三年(1321)の干支は辛酉(かのととり)で、銘文の庚酉(かのえとり)は間違って刻まれている。

塔身の銘文 (3)

「大願主大公、兼氏幷」「大工僧良戒、敬白」

石大工 良戒の名が刻まれている

基 礎 ・反 花 座

基礎側面は、二区で夫々格狭間をつくり、その上に背の高い反花座を設ける

鎌倉時代後期 元応三年(1321)の在銘作品。ここから南にある元徳二年(1330)造立の石丸(いしまる)宝塔(国東塔)と形状がよく似ている

基  壇

基壇は二段で、切石で作られている

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財前家墓地(ざいぜんけぼち)宝塔(国東塔)

三基の国東塔が基壇の上に並び立つ。一番大きい国東塔(重文塔)は、財前家の祖先、財前美濃守の墓と伝えるが、塔身の銘文により逆修塔として造立された。

昭和四十五年一月、国・県の助成で改修工事が行われたが、(重文塔の)地下よりは腐食せる鉄片一が出たのみ(「国東半島の石造美術」、酒井富蔵 著)

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*豊後高田方面からだと走水峠の手前を南へ、一畑トンネルを抜け、少し下ると左側に財前家墓地がある。平成20年11月に田原家五重石塔・ 田原若宮八幡社国東塔を見て、財前家墓地に行く予定だったが、時間がなくて財前家墓地に行けなかった。 田原若宮八幡社からだと、県道31号線を北に進めばよい。

(撮影:平成23年3月17日)