勝尾寺(かつおうじ)町石五輪卒塔婆

 勝尾寺(かつおうじ)町石(大阪府箕面市粟生間谷2914-1)

  勝尾寺の旧参道に建てられているいる五輪塔形の町石で、一町石から七町石まで古いものが残っている。町石に紀年銘はないが、「勝尾寺毎年出来大小事等目録」

   と題する同寺の文書に、宝治元年(1247)に町石卒塔婆を造立した旨が掲載されており、五輪塔形の古い様式とあいまって我国最古 宝治元年造立の町石とされている。

 勝尾寺(かつおうじ)一町石

   我国最古の町石で、鎌倉時代中期 宝治元年(1247)の造立。完全な形で残るのはこの一町石と二町石のみとなっている

勝尾寺 町石五輪卒塔婆(一町石)(国史跡、鎌倉時代中期 宝治元年 1247年、花崗岩、高さ 145Cm 幅 22Cm)

完全な形で残る町石で、地輪正面に阿閦如来の種子「ウーン」、その下に「一町」の町数と造立者「阿闍梨圓能」の名を刻んでいる

地輪 上部

阿閦(あしゅく)如来の種子「ウーン」を刻む。梵字は、金剛界の各尊を表している。

上部 五輪塔形 地輪下部の刻銘:「一町 阿闍梨圓能」

五輪塔は、頂部の空輪が蓮の蕾(つぼみ)形で、風輪が下の火輪に少しくいこみ、火輪は軒反が穏やかで、水輪は角ばった球形の古い様式をしている。

 勝尾寺(かつおうじ)二町石

  町石は、本来一町ごとに建てられていたと推測され、完全な形で残るのはこの二町石と一町石のみとなっている。

勝尾寺 町石五輪卒塔婆(二町石)(国史跡、鎌倉時代中期 宝治元年 1247年、花崗岩、高さ 150Cm 幅 21.8Cm)

地輪正面に宝生如来の種子「タラーク」、その下に「二町 阿闍梨高像」、地輪左側に金剛界大日如来の種子「バン」をを刻む

上部 五輪塔形

一町石と同様、頂部の空輪が蓮の蕾形、風輪が下の火輪に少しくいこみ、火輪は軒反が穏やかで、水輪は角ばった球形の古い様式をしている。

地輪正面宝生如来の種子「タラーク」、その下に「二町」 地輪下部の刻銘:「阿闍梨高像」

現在、勝尾寺旧参道三十六町(約4Km)には、寺までの距離を示す町石が江戸時代に建てられた十二基を含め、二十基確認されている。

二十基の町石のうち、下乗石から七町石までの八基の町石は宝治元年(1247)の建立で日本で一番古い町石になり国の史跡に指定されている。

  勝尾寺旧境内傍示八天石蔵(きゅうけいだいぼうじはってんいしぐら)(国史跡)

勝尾寺旧境内傍示八天石蔵(きゅうけいだいぼうじはってんいしぐら) (国史跡)

勝尾寺は寛喜二年(1230)村々との境界紛争が解決した時、寺領の境界標(傍示)を八箇所設けた。

八個所の境界標には、八天像(重文)を容器(重文)に納め埋納した。東西南北に四天王、その中間四箇所には四大明王を埋納した。

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勝尾寺(かつおうじ)仁王門

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*地下鉄 千里中央駅前から阪急バス北摂霊園・希望ヶ丘四丁目行き乗車、「勝尾寺バス停」下車。

(撮影:平成19年3月17日、平成23年5月9日)