鵜殿(うどの)磨崖仏(1)

 鵜殿(うどの)磨崖仏(佐賀県唐津市相知町相知和田)

  空海が唐から帰った時、この地に釈迦・阿弥陀・観音の三尊を刻んだという伝説がある。しかし、造立年代の定説はなく、ほとんどが南北朝から江戸時代にかけてのものという。

鵜殿(うどの)磨崖仏群 (県指定史跡、南北朝時代~江戸時代、凝灰岩、持国天の高さ 168Cm)

 鵜殿(うどの)磨崖仏、十一面観音

  磨崖仏群の正面(南面)に刻まれた四尊の内、中尊の役割をはたしている。やや小さめの像で、持国天と多聞天の間に刻まれている。

鵜殿(うどの)磨崖仏、十一面観音坐像 (県指定史跡、南北朝時代、凝灰岩、像高 72Cm)

薄肉に刻まれた二重円光背を負い、手は胸前で合掌する。右足は通常の結跏趺坐や半跏坐ではなく、左足の下に入り、変な坐法になっている

十一面観音 頭部

頭部に十一面を表す観音(化仏が十面、頂上仏が一面)を刻んでいる。

 鵜殿(うどの)磨崖仏、持国天

  磨崖仏群の正面(南面)に刻まれた四尊の内、左端に刻まれている。多聞天とともに鵜殿石仏群のシンボルとして有名。

鵜殿(うどの)磨崖仏、持国天像 (県指定史跡、南北朝時代、凝灰岩、像高 168Cm)

持国天は、武人の姿で東方を守護する。甲冑に身をかため、邪鬼の上に立つ。左手は腹前で手を開き、右手は剣を持ち下に構える

持国天 頭部

目を大きく見開き、歯をむき出しにした憤怒相。

鎧からはみ出た衣服が、左右の肘あたりで翻る。両手の表情と相まって動きのある表現になっている。右足は、くの字に曲げ邪鬼の頭部を踏みにじる

邪 鬼

持国天に踏みつけられ、いかにも痛そうな邪鬼の表情が面白い。

 鵜殿(うどの)磨崖仏(2)(多聞天・不動明王)                    石仏と石塔-目次!

鵜殿(うどの)磨崖仏群 (県指定史跡、南北朝時代~江戸時代、凝灰岩)

正面(南面)に刻まれた四尊の向かって右側の壁面に大日如来が刻まれている

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*JR唐津線 「相知(おうち)駅」下車、西方向へ 約1.8Km。相知駅構内に、観光者用無料レンタサイクルがある。

(撮影:平成24年1月28日)