鵜殿(うどの)磨崖仏(2)

 鵜殿(うどの)磨崖仏(佐賀県唐津市相知町相知和田)

  かって大洞窟に平等寺という寺院があったが、天文年間(1532~54)に戦火で焼失したとういう。現在、鵜殿(うどの)磨崖仏群には、約六十体の石仏が残っている。

 鵜殿(うどの)磨崖仏、多聞天像

  磨崖仏群の正面(南面)に刻まれた四尊の内、右端に刻まれている。持国天とともに鵜殿石仏群のシンボルとして有名。

鵜殿(うどの)磨崖仏、多聞天像 (県指定史跡、南北朝時代、凝灰岩、像高 182Cm)

多聞天は、北方を守護する武神。甲冑に身をかため、左手は宝塔を捧げ持ち、右手は剣を持つ。顔は憤怒相、足下の邪鬼は剥落している

多聞天 胴部

ベルトの上に刻まれた鬼面が、アクセントをつけている

多聞天は、「毘沙門天(びしゃもんてん)」の名で知られる 左手に捧げ持たれた多聞天のシンボル、「多宝塔」

多聞天 下部

太い両足に沓(くつ)をはいている

 鵜殿(うどの)磨崖仏、不動明王像

  磨崖仏群の正面(南面)に刻まれた四尊の内、他の三尊と作風が異なり、最も遅れて刻まれた。不動明王は、修験道の中心仏の地位を占める。

鵜殿(うどの)磨崖仏、不動明王像 (県指定史跡、凝灰岩)

右手の利剣は薄く残り、左手に羂索を持つ。突き出た眼球は、左目半眼 右目は開く、口は牙をもち、弁髪はねじれて胸のあたりまで垂れている。

胴 部

裳(も)の紐は結ばれ、左手に羂索が見える。

足 部

不格好で、手荒く仕上げている。おどろおどろした顔と、なぜか合っている。

  インド仏教終焉の地 ベンガル地方にある不動明王

不動明王 (チャンダマハーローシャナ)

(バングラディシュ、バハールプル大寺院 8世紀後期-9世紀前期

バハールプル大寺院基壇のテラコッタ・パネルで右手に利剣、左手に羂索を持ち、左膝を地につけ右足を蹴りあげる。バングラディシュにおける不動明王の初見という。

バハールプル大寺院は、世界遺産に登録されたインド亜大陸最大規模の仏教僧院祉であり、単独の仏教寺院としてはアジア最大であったと考えられている。

 鵜殿(うどの)磨崖仏(3)(大日如来・不動三尊)                  石仏と石塔-目次!

鵜殿(うどの)磨崖仏群 (県指定史跡、南北朝時代~江戸時代、凝灰岩)

不動明王は、多聞天の向かって左横に刻まれている。

 石  仏-紀年順-目次

*JR唐津線 「相知(おうち)駅」下車、西方向へ 約1.8Km。相知駅構内に、観光者用無料レンタサイクルがある。

(撮影:平成24年1月28日)