俵薬師堂(たわらやくしどう)(埼玉県深谷市本田522)
身部いっぱいに放射光を線刻した来迎相の阿弥陀如来を刻んだ板碑で、南北朝時代 観応元年(1350)の紀年銘を有する。
俵薬師 阿弥陀一尊図像板碑(市指定文化財、南北朝時代前期 観応元年 1350年、緑泥片岩、高さ 153Cm 下幅 39Cm)
頭部山形、下に二段の切込、身部に踏割蓮華座上に立つ来迎阿弥陀如来を、輪郭を付け薄肉風に刻む。上下に郭線を引き、下部に銘文を刻む
板碑 頭部
頭部山形、下に二段の切込、身部は図像の上下に郭線を引く
阿弥陀如来は円形頭光を負い、頭部から360度 身部いっぱいに、阿弥陀の四十八願になぞらえた光明の放射を表現する |
踏割(分)蓮華座 [ふみわり(わけ)れんげざ]
来迎阿弥陀如来は、片足ずつ蓮華座に乗る踏割蓮華座上に立つ
身部上方、左端に、わずかな傷があるのみで完存する | 身部下端、銘文の中央部に、三茎の蓮を生けた宝瓶を線刻する |
板碑下端の銘文
宝瓶三茎蓮の左右に「観応元年(1350)庚寅八月日」「一結衆中等、敬白」の銘文が入る
刻銘:「一結衆中、等 敬白」 | 刻銘:「観応元年(1350)庚寅、八月日」 |
板碑下端の銘文
俵薬師 阿弥陀一尊図像板碑(市指定文化財、南北朝時代前期 観応元年 1350年)
薬師堂の手前、左側に電話ボックス状の透明塩化ビニール張り収蔵庫内に置かれている。
俵薬師堂(たわらやくしどう)
平安時代中期の武将 俵藤太(たわらとうた:藤原秀郷)が朝廷の命を受け、平将門追討に兵を進めた時、この地で兵士の一団が
病にかかり進軍できなくなった。その時、兵士の病気平癒を祈願して薬師如来を祀った。たちまち病気はなおり、追討に成功した。
*秩父鉄道「武川駅」下車、南方向へ荒川に架かる植松橋を渡って東方向、徒歩 約26分。
(撮影:平成23年10月30日)