盛徳寺(じょうとくじ)(埼玉県行田市埼玉1118)
阿弥陀種子と地蔵菩薩図像を刻んだ板碑で、地蔵・弥陀同体異名の思想に起因するものという。鎌倉時代中期 文永年間(1264~75)の紀年銘がある。
盛徳寺(じょうとくじ)地蔵図像板碑(鎌倉時代中期 文永年間 1264~75年、緑泥片岩、高さ 166Cm 下幅 36Cm)
参道右手、大慈殿の前、石枠の中に立っている。身部は二重線の輪郭を巻き、阿弥陀種子、地蔵立像、紀年銘を刻む |
身部上方は、蓮華座上の阿弥陀如来の種子。下方は、頭光を負い、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩で、とも美しく刻まれている。
板碑 頭部
頂部に二段の切込、身部に二重線の輪郭が巻かれている
蓮華座上に刻まれた阿弥陀如来の種子「キリーク」 | 頭光を負い、蓮華座上に立つ地蔵菩薩。薄肉に刻む |
地蔵は、お顔をやや右に曲げた見返り地蔵で、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。地蔵立像の首のあたりで折れ、修理が施されている。
「板碑概論」(服部清道 著、角川書店)によると、地蔵像の両側に、「法華経化城喩品」と「菩提心論」に出る偈(げ)が刻まれている。
法華経化城喩品の偈(げ):「願以此功徳(がんにしくどく) 普及於一切(ふぎゅうおいっさい) 我等与衆生(がとうよしゅじょう) 皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう」
[ 願わくばこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん ]
菩提心論の偈(げ):「若人求仏慧(にゃくにんぐぶつえ)通達菩提心(つうたつぼだいしん)父母所生身(ぶもしょしょうしん) 即証大覚位(そくしょうだいかくい」
[ もし人ありて仏慧を求め、菩提を求める心達したならば、父母の産んでくれたこの身ながら、速やかに大覚位を証することができる ]
板碑 下方
中央に「文永口口(1264~75)」の紀年銘を刻む
阿弥陀の種子「キリーク」を荘厳体で刻んだ板碑で、鎌倉時代後期 乾元二年(1303)の紀年銘がある。
盛徳寺(じょうとくじ)阿弥陀一尊種子板碑(鎌倉時代後期 乾元二年 1303年、緑泥片岩、高さ 62Cm 下幅 21Cm)
板碑は、左右にわずかな傷があるが完存する | 板碑下方の刻銘:「乾元二年(1303)二月日」 |
頭部山形、下に二段の切込。身部は一重線の輪郭を巻き、蓮華座上に荘厳体で阿弥陀如来の種子「キリーク」を薬研彫し、下方に紀年銘を刻む
身部上方 阿弥陀如来の種子
身部上方に、阿弥陀如来の種子「キリーク」を荘厳体で薬研彫する
盛徳寺(じょうとくじ)(真言宗智山派)
盛徳寺は、平安時代前期 大同年間(808~10)の創建と伝えられ、埼玉県最古の寺院という
*JR高崎線「行田駅」下車、東北東方向へ 約7.5m。行田駅に行田市観光案内所があり、無料レンタサイクル(電動は有料)が便利に使用できる。
(撮影:平成23年11月1日)