円照寺(えんしょうじ)(埼玉県入間市野田158)
板碑に刻まれた元弘三年(1333)五月二十二日は、鎌倉幕府が滅亡した日にあたり、板碑の人名 道奉禅門(加治家貞)も鎌倉幕府と運命をともにしたとみられている。
(説明板の写真) |
円照寺 胎蔵界大日三尊種子板碑 (重要文化財、鎌倉時代末期 元弘三年 1333年、緑泥片岩、高さ 137Cm 幅 38Cm)
身部上方、五点具足の胎蔵界大日の種子「アーンク」、向かって右下に降三世明王の種子「ウーン」、左下に大威徳明王の種子「キリーク」を薬研彫する。
主尊の胎蔵界大日如来のみ、蓮華座上に刻まれ、脇侍の明王は蓮華座がない。
板碑 頂部
頭部山形、下に二段の切込。身部は一重線の輪郭を巻く
身部下方、中央に紀年銘、左右に「臨剣頌」の偈を刻む | 下方中央の紀年銘 |
下方中央に「元弘三年(1333)、癸酉、五月廿二日、道奉、禅門」紀年銘、その左右に無学祖元(むがくそげん)の「臨剣頌」(りんけんしょう)の偈を刻む。
板碑に刻まれている紀年銘は、鎌倉幕府第十四代執権 北条高時が新田義貞の軍に攻め滅ばされた日にあたり、板碑の道奉禅門(どうほうぜんもん
:加治家貞)も、北条高時と運命を共にしたとみられている。これにより鎌倉幕府は滅亡した。この板碑は、加治家貞の菩提を弔うため、子孫が造立した。
「臨剣頌」(りんけんしょう)の偈
「乾坤無卓孤笻地(けんこんむたくこきょうち)、只喜人空法亦空(しきにんくうほうやくくう)」
「珎重大元三尺剣(ちんちょうだいげんさんせきけん)、電光影裏析春風(でんこうえいりせきしゅんぷう)」
[ 天地の間一本の杖を立つる地もなし、ただ喜ぶべきは人間本来空、諸法もまた空、大元三尺の剣を珍重するも、電光の瞬時に春風を斬るがごとし]
上記が、板碑に刻まれている偈であるが、「臨剣頌」の偈は下記の通りで多少手が加えられている。
「臨剣頌」の偈:「乾坤無地卓孤笻(けんこんむじたくこきょう)、只喜人空法亦空(しきにんくうほうやくくう)」
「珍重大元三尺剣(ちんちょうだいげんさんせきけん)、電光影裏斬春風(でんこうえいりざんしゅんぷう)」
無学祖元が元兵に襲われ、首を刎ねられようとした時、泰然と構え、この偈を説き、難をまぬがれたという臨刃偈。
現地の説明板
円照寺 板碑収蔵庫
六基の板碑が、重要文化財に指定されている。
仏子(ぶし)共同墓地 阿弥陀三尊種子板碑 石仏と石塔-目次!
円照寺(えんしょうじ) (真言宗智山派)
鎌倉時代初期、加治家茂が二俣川の戦で戦死した父 家季(いえすえ)の菩提を弔うため円照上人を開山とし建立した。
*西武池袋線 「元加治駅」下車、南東方向へ徒歩 約2分。
(撮影:平成23年11月4日)