喜多院(きたいん)暦応五年銘 阿弥陀種子板碑

 喜多院(きたいん)(無量寿寺)(埼玉県川越市小仙波町1-20-1)

  喜多院 歴代住職墓所内に立つ板碑で、歴代住職の法名が刻まれている所から県の史跡に指定されている。南北朝時代前期 暦応五年(1342)の在銘。

喜多院 阿弥陀種子板碑(県指史跡、南北朝時代前期 暦応五年 1342年、緑泥片岩、高さ 232Cm 下幅 62Cm)

歴代住職墓所内、向って右側に立つ。身部は、上方に阿弥陀如来の種子、その下に過去・現在と刻み、五十二名の僧・僧尼名を刻む。

上方に上人・法印・僧都 等 高い地位の僧職が冠された歴代住職の法名が刻まれ、鎌倉・南北朝時代における喜多院住職の高い地位が伺える。

板碑 頭部

頭部山形、下に二段の切込、額部は薄く突出する。身部は、一重線の輪郭線を巻く。

蓮華座上に阿弥陀如来の種子「キリーク」が薬研彫される。 身部下方、紀年銘と五十二名の僧・僧尼名が刻まれている。

 僧・僧尼名(五十二名)

  板碑には、六段にわたり 五十名と二名の交名が刻まれている。

最上段の僧名

中央に「過去」と刻まれ、下に「僧都、長海」、その下の「現在」に続く。

上から二段目の僧名

一・二段目の法名には、上人・法印・僧正・僧都等 高い地位が冠されている。

上から三段名の僧名

上から四段目名の僧・僧尼名

中央に「闍梨、口海」、下 「暦應」の紀年銘へと続く。

四段目から下は、仏門に入った在俗の女性を表す「禅尼」がついた法名が多数刻まれている。

西

上から五段目名

五段目は、中央部で剥落しており二名の法名が不明。

上から六段目名

六段目(最下段)は、中央の右部上方で剥落しており二名の法名が不明。

板碑の下方には、多数の僧・僧尼の法名が刻まれている。 中央の刻銘:「暦應五(1342)口 卯月十五日」

喜多院(きたいん)歴代住職墓所内に立つ二基の板碑

歴代住職墓は、慈眼堂(重要文化財、江戸時代)の裏側にある。向って左は、延文三年(1358)銘阿弥陀種子板碑。

 喜多院(きたいん)延文三年銘 阿弥陀種子板碑                    石仏と石塔-目次!

慈恵堂(じえどう)(県指定文化財・江戸時代 寛永16年 1639年、入母屋造、銅板葺)

慈恵大師(良源)と慈眼大師(天海)を祀った両大師のお堂で、潮音殿とも呼ばれている。

喜多院(無量寿寺)は、「川越大師」と呼ばれる埼玉県下第一の名刹で天台宗の寺院。

 板碑(いたび)

*J東武東上線・JR川越線 「川越駅」 下車、北方向へ徒歩 約20分。または、J東武東上線「川越市駅」 下車、東北方向へ徒歩 約18分。または、西武新宿線「本川越駅」下車、東方向へ徒歩 約15分。歴代墓所内は立ち入り禁止の為、望遠レンズ使用。

(撮影:平成24年11月8日、平成17年8月15日)