国性寺(こくしょうじ)(埼玉県熊谷市中奈良1310-1)
「平成の大合併」以前の熊谷市で最古、鎌倉時代中期 建長元年(1249)の紀年銘がある。
国性寺 阿弥陀一尊種子板碑(市指定文化財、鎌倉時代中期 建長元年 1249年、緑泥片岩、高さ 190Cm 幅 67Cm)
本堂に向かって左手、手前の小堂に立つ。身部は、上方に阿弥陀の種子「キリーク」、下方に観無量寿経に出る偈と紀年銘を刻む |
板碑 頂部
頭部は低い山形、下に二条線、額部はなく、身部の輪郭もない。
また、蓮華座を刻まず、身部に直接 阿弥陀種子を刻むなど、古い板碑の特長を持っている。
蓮華座は刻まず、直接、阿弥陀の種子「キリーク」を薬研彫する | 身部下方の刻銘 |
身部下方の刻銘
中央に「建長元年(1249)己口、八月廿口日」、左右に各二行 観無量寿経に出る「光明遍照、十方世界」の偈(げ)を刻む。
観無量寿経に出る偈(げ)
偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)」
[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]
国性寺 板碑(断碑)(鎌倉時代中期 文永九年 1272年、緑泥片岩、高さ 84Cm 下幅 48Cm)
板碑は、上部を欠失し刻銘部 三行を残す。中央に紀年銘、左右に「観世音菩薩往生浄土本縁経」に出る偈(げ)を刻む |
中央の刻銘:「・・永九暦壬申(1272)初夏日敬白」、九暦〈年)の年と壬申の干支で、文永九年(1272)とわかる。
左右に刻まれた偈(げ):「一念弥陀仏(いちねんみだぶつ)即滅無量罪(そくめつむりょうざい)」「現受無比楽(げんじゅむひらく)後生清浄土(ごしょうしょうじょうど)」
[ 一たび阿弥陀仏を念ずれば、ただちに無量の罪を滅ぼし、まのあたりに無比の楽を受け、後生には浄土に生まれん。]
板碑を収納している小堂
国性寺(こくしょうじ)(天台宗)
*JR熊谷駅前から朝日バス バイパス経由妻沼行きに乗車、「中奈良バス停」下車 東南方向へ約 400m。又は、太田駅・西小泉・妻沼・妻沼聖天前行きに乗車、「農協活性化センターバス停」下車、南西方向へ徒歩 約12分。。
(撮影:平成24年4月22日)