崇徳寺跡延慶の板碑(埼玉県入間郡毛呂山町川角1098)
高さ3mの大板碑で保存も良く完存する。鎌倉時代後期 延慶三年(1310)の在銘で、地下から骨壺が二個発見されている。
崇徳寺跡 胎蔵界大日種子板碑(県指定文化財、鎌倉時代後期 延慶三年 1310年、緑泥片岩、高さ 300Cm 下幅 73Cm)
頭部山形、身部は上方に胎蔵界大日如来(五点具足)の種子「アーンク」、下方は蓮華三昧経に出る偈、その下に願文、紀年銘等を刻む |
板碑 頂部
頭部山形、下に二段の切込、身部は輪郭線を巻かない。
胎蔵界大日如来(五点具足)の種子「アーンク」 | 身部下方、蓮華三昧経に出る偈、願文・紀年銘等 |
身部、蓮華三昧経に出る偈(げ)
偈(げ):「帰命本覚心法身(きみょうほんがくしんほうしん)、常住妙法心蓮台(じょうじゅうみょうほうしんれんだい)
本来具足三身徳(ほんらいぐそくさんしんとく)、三十七尊住心城(さんじゅうしちそんじゅうしんじょう)」
[ 本覚心の法身(如来)に帰命したてまつる。常に妙法の心蓮台に住し、本よりこのかた(法身、報身、応身の)三身徳をそなえ、三十七尊の心城に住す ]
(心蓮台:自性心の清浄なるを心蓮とする心蓮の台。 三十七尊:金剛界曼荼羅の主要な尊体)
身部下方の刻銘
中央に「延慶第三暦(1310)、庚戌、仲春中旬、敬白」、向かって右に「右興立志趣者為大檀那沙門行真」、
左に「幷朝妻氏女現世安穏後生善処也」と刻む。
鎌倉時代後期 延慶三年(1310)仲春中旬に大檀那の沙門行真と朝妻氏女の現世安穏と後生の善処(弥陀浄土)を願って造立された。
刻銘:「延慶第三暦(1310)」 | 板碑 側・背面 |
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崇徳寺跡 胎蔵界大日種子板碑(県指定文化財、鎌倉時代後期 延慶三年 1310年)
板碑は新しい町道ができた関係から、昭和37年(1962)に現在地に移転されている。移転の際、地下から二個の壺が発見され、
一個は空で、もう一個には火葬した人骨が壺の口までいっぱいに入っていたという。板碑の「現世安穏、後生善処」の文面から
見れば生前の逆修供養塔ということになるが、二人(沙門行真、朝妻氏女)の死後、骨を埋めて墓塔としたのかもしれない。・・
*東武越生線 東毛呂駅前から 「もろバスやぶさめ号」里コースに乗車、「歴史民俗資料館バス停」下車、西方向へ徒歩 約10分。板碑は、埼玉医大川角キャンパスの西側道路に案内板があり、安内に従って進むと雑木林の中に立っている。
(撮影:平成24年4月19日)