嘉元(かげん)の板碑(阿弥陀種子板碑)

 嘉元(かげん)の板碑(埼玉県入間郡毛呂山町葛貫字大石仏)

  毛呂山町最大の板碑で、鎌倉時代後期 嘉元四年(1306)の紀年銘があるところから「嘉元の板碑」と呼ばれている。

嘉元の板碑 (町指定文化財、鎌倉時代後期 嘉元四年 1306年、緑泥片岩、高さ 340Cm 下幅 74Cm)

頭部山形、下に二段の切込、身部は阿弥陀の種子を蓮華座上に、その下に「観無量寿経」に出る偈、紀年銘、多数の人名を刻んでいる。

板碑 頭部

頭部山形、下に二段の切込、身部は一重線の輪郭を巻く。

身部、阿弥陀如来の種子「キリーク」を蓮華座上に薬研彫する 下方、上方に観無量寿経に出る偈、中央に紀年銘を刻む

身部下方、中央に嘉元四季(1306)二月三日時正、敬白」その両側上方に「光明遍照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨」の偈、

偈の下、向って右側に「過去」、左側に「現在」と刻み、その下方に多数の人名をが刻まれている。人名は磨滅し、全ては判明していない。

現地の説明によれば、「過去」の下には、尚蓮・行蓮・西阿・蓮位・直照など、「現在」の下には、景重・了阿・長清などの人名が刻まれているという。

時代は下がり背景も異なるが本碑と同様、「過去」・「現在」と刻み多数の法名を刻んでいる板碑に喜多院 暦応五年(1342)銘 阿弥陀種子板碑がある。

観無量寿経に出る偈(げ)

偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)

[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]

板碑、側・背面 刻銘:「嘉元四年(1306)二月三日時正」

旧暦 嘉元四年(1306)二月三日、春の彼岸の中日に、故人となっている歴代の僧を追善し、現在の住僧を逆修供養する為、造立されたと思われる。

時正(じしょう)とは、太陽が真東から真西に沈む彼岸の中日のことで、彼岸日に法事を選んで行うのは、真西に極楽浄土があると信じられていたから。

板碑、最下部

輪郭の下にも文字が刻まれている。

板碑に刻まれた文字

紀年銘下方 「三日時正 敬白」の両側の文字が比較的残っている。

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嘉元の板碑 (町指定文化財、鎌倉時代後期 嘉元四年 1306年、高さ 340Cm)

伝承では、現在 大谷木地内にある宝福寺(新義真言宗)が、往古この地にあったという。

 板碑(いたび)

*JR八高線 毛呂駅の北側約200mの「もろバス 福祉会館バス停」からやぶさめ号山コースに乗車、「大谷木浅野屋バス停」下車、北東方向へ 約500m。当初、日高市に隣接する大寺廃寺跡あたりにこの板碑があると思いこんでいて、そこを探しても見つからなかった。近所の人に聞いて間違いとわかり、軽四トラックで「嘉元の板碑」が立っている所まで送って頂いた。おまけに、帰りも駅近くまで送って頂いて有難うございました。人の親切が嬉しく、力を頂きました。感謝!。

(撮影:平成24年11月9日)