天岑寺(てんしんじ)阿弥陀三尊月待板碑

 天岑寺(てんしんじ)(埼玉県狭山市沢5-34)

  来迎阿弥陀三尊像刻んだ月待板碑で、室町時代中期 文明十四年(1482)の紀年銘がある。

天岑寺 阿弥陀三尊月待板碑(市指定文化財、室町時代中期 文明十四年 1482年、緑泥片岩、高さ 131Cm 下幅 40Cm)

門内参道、左手、覆屋の中に安置されている。二十三夜月待板碑で、身部に阿弥陀三尊・三具足・前机、銘文を刻む。

月待は、十三夜・十六夜・二十三夜などの日に月の出を待ちながら飲食をともにし、月を拝む行事で、二十三夜が最も多く、当板碑も二十三日に造立されている。

板碑 頭部

頭部山形は損傷し、下に二条線、額部は薄く突出する。身部は、一重の輪郭を巻く。

天蓋(てんがい)

輪郭内最上部、左右に日月、中央に瓔珞(ようらく)を垂らした天蓋を刻んでいる。

身部上方、阿弥陀三尊の図像 身部下方、三具足・前机・光明真言・交名・紀年銘 等を刻む。

阿弥陀三尊は、来迎印の阿弥陀立像を大きく、向って右下に合掌する観音菩薩、左に勢至菩薩刻む。三尊とも、円形頭光を負い蓮華座上に立っている。

中尊、阿弥陀如来

阿弥陀如来は円形頭光を負い、頭部から弥陀の四十八願になぞらえた光明を放射する。

脇侍、観音・勢至立像

両尊とも、円形頭光を負い蓮華座上に立つ。右方の観音は合掌し、左方の勢至は手の部分が磨滅している。

また、裾が後方に流れ、動きが表現されている。両尊の間に「月待供養」と刻む。

刻銘:月待供養」 刻銘:「文明十四年(1482)、壬寅、八月廿三日」

板碑 下部

中央部は、前机に敷布をかけ卓上に三具足(燭台・香炉・花瓶)を配置、その下に「文明十四年(1482)、壬寅、八月廿三日」

向って右に「三郎四郎・彦二郎・五郎太郎、道慶・助四郎・彦三郎・」、左に「七郎三郎・五郎四郎・三郎二郎、

道仙・又太郎・又七・彦九郎」の交名、その外側両側に梵字で「光明真言」を刻む。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」

板碑収容 覆屋

門内参道、左手側にある。

天岑寺(てんしんじ)本堂 (曹洞宗、本尊 釈迦如来)

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天岑寺 惣門(そうもん)[ 市指定文化財、江戸時代前期 寛永年間(1624~44)初期、四脚門 ]

地頭 小笠原太郎左衛門尉安藤が、三河に葬られていた父の菩提を弔う為、文禄三年(1594)に開基し、 天海盛吞により開山した。

 板碑(いたび)

*西武新宿線 「新狭山駅」下車南方向へ徒歩 約20分。

(撮影:平成23年11月8日)