徳林寺(とくりんじ)(埼玉県狭山市入間川 2-3-11)
階段状に墓石が並ぶ墓地、その中段 中央あたりに板碑が集められ置かれている。その中の代表的な板碑で、永仁五年(1297)の在銘。
阿弥陀三尊種子板碑(後方、最大高分) (鎌倉時代後期 永仁五年 1297年、緑泥片岩、高さ 110Cm 下幅 36Cm)
板碑は頭部を損傷し、下方を欠く。身部は、阿弥陀三尊の種子を蓮華座上に、下方中央に紀年銘、左右に各二行の偈(げ)を刻んでいる。 |
板碑 頭部
頭部山形を損傷、下に二段の切込。身部は、一重線の輪郭を巻く。
身部、蓮華座上阿弥陀三尊の種子 | 身部下方、中央に紀年銘、左右に出典不詳の偈(げ)を刻む。 |
三尊種子は、上方に大きく阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を蓮華座上に薬研彫する。
板碑下方、左右に各二行「一切衆生躰、名曰卒塔婆、聞者得知恵、見者即成仏」、中央に「永仁五年(1305)、丁酉、二月時正」と刻む。
刻銘:「永仁五年、丁酉、二月」「聞者得知恵、見者即成佛」 | 刻銘:「一切衆生躰、名曰卒塔婆」 |
偈(げ)
偈(げ):「一切衆生躰(いっさいしゅじゅうたい)、名曰卒塔婆(みょうわくそとば)」、「聞者得知恵(もんしゃとくちえ)、見者即成仏(けんしゃそくじょうぶつ)」
[ 一切の生きとし生けるものの本体は、名付けていわく卒塔婆という。聞くものは知恵を得、見る者はたちまち成仏する。 ]
永仁五年(1297)銘板碑の隣に立つ阿弥陀三尊種子を刻む板碑で、南北朝時代前期 康永二年(1343)の銘がある。
徳林寺墓地 阿弥陀三尊種子板碑(中央)(南北朝時代前期 康永二年 1343年、緑泥片岩、高さ 83Cm 下幅 27Cm)
頭部山形、下に二段の切込、額部は薄く突出する。身部は、阿弥陀三尊の種子を蓮華座上月輪内に、下方中央に紀年銘、左右に「弥阿、逆修」と刻んでいる。
三尊種子は、上方に大きく阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を蓮華座上月輪内に薬研彫する。
板碑の刻銘
刻銘:「康永二年(1343)癸未、十月日、弥阿、逆修」
徳林寺墓地 板碑群
徳林寺墓地(とくりんじぼち)板碑群(2) 石仏と石塔-目次!
徳林寺 (曹洞宗、武蔵野三十三観音 第十七番札所)
室町時代 永正~享禄年間(1504~32)頃の創立と考えられている。
*西武新宿線 「狭山市駅」下車、西口から北西方向へ徒歩 約7分。
(撮影:平成23年11月8日)