延暦寺東塔地区

 延暦寺(えんりゃくじ)二重大塔(大津市坂本本町4220)

  延暦寺は、南都(奈良)、南山(高野山)に対する北嶺の名によって知られた天台宗の総本山

延暦寺二重大塔(指定なし、昭和55年 1980年建立、銅板葺、高さ 30m)


上重、三手先組物、軒は二軒繁垂木

下重、擬宝珠高欄を付した縁

最澄は「一隅を照らす」という教えを示し、全国六箇所に宝塔を建て、「国土と国民を護る」ことを発願した。その中心宝塔として建立された

大塔は二重基壇上に建ち、擬宝珠高欄を付した縁をめぐらす、正面は五間で格子戸、中備えは五間とも蟇股


下重、中備えの蟇股

下重、組物は出組

当初の東塔は元亀二年(1571)の織田信長の焼討ちにより廃塵に帰した。

現在の二重大塔は天台宗徒と佐川急便グループの創業者佐川清氏の寄進により昭和五十五年(1980)に建立された

延暦寺阿弥陀堂(昭和十二年 1937年に行われた比叡山開創 1150年を記念して建立された)


文殊楼(市文・江戸時代・根本中堂の正面尾根上に建つ・写真左の階段の上)

大講堂(重文・江戸時代 寛永十一年 1634年)

延暦寺大講堂(写真:右下)は、山麓の坂本にあった東照宮本地堂を昭和三十一年(1956)に焼失した大講堂の代わりに移したもの

延暦寺戒壇院(重要文化財、江戸時代 延宝六年 1678年再興、宝形造・とち葺)

僧が大乗戒(規律)を受ける重要なお堂。最澄没後七日後に勅許を受け第一世義真座主により平安時代前期 天長五年(828)に創建された

  滋賀県の塔 延暦寺相輪塔                            日本の塔-目次

延暦寺根本中堂(国宝、江戸時代 寛永十九年 1642年再建)

延暦七年(788)伝教大師最澄が鎮護国家の道場として建立されたのが根本中堂の始まりで比叡山の総本堂になる。徳川家光により再建された。本尊は最澄の手になる薬師如来

(平成17年11月12日撮影)

*坂本ケーブルを降りると小雨が降っていた。前回の比叡山も雨に見舞われバスの最終に間に合わず、親切な人にJRの駅まで送っていただいた。今回は、相輪塔の細部を200m/mのズームで撮っていたら三脚をひっくり返しレンズを修理に出した。いつもなにかある場所だ。