延暦寺西塔地区

 延暦寺(えんりゃくじ)相輪塔(大津市坂本本町4220)

  西塔地区は智証大師円珍が開発した地域。舎利塔の原形である相輪塔がある

延暦寺 相輪塔(重要文化財、明治二十八年 1895年改鋳、青銅製、高さ 10.7m)


水煙ががなく、宝珠の下に二個の花輪をおく

請花の部分

相輪塔は、塔の相輪に柱をつけて、地上に立てた形式で、上部を相輪、下部を柱とし、中に写経を納めている

相輪塔の柱部と支柱

相輪塔は、最澄が平安時代前期の弘仁十一年(820)に創建したものが、その始まりと伝えられる

その後、平安時代後期の治承三年(1179)をはじめとして数回修理が行われた。現在の相輪塔は、明治二十八年(1895)に改鋳された青銅製のもの


台座様の花弁には細かい風鐸・鈴が取付けられている

正面の仏像の周りは音楽を奏でる彫刻がいっぱい

塔は、下部の柱上に、仏像の台座様の花弁をつけ、その上に音楽を奏でる彫刻があり、請花、九輪、花輪、宝珠と続く

彫刻は、縦笛、横笛、太鼓、笙(しょう)、枇杷を演奏する様子が生き生きと表現されている。

下の鈴や九輪に各八個取り付けられた風鐸・鈴とあいまって、比叡山上からありがたい音楽が聞こえる


浄土院(最澄上人のご廟)

法華堂(にない堂)(重文・桃山時代・宝形造・とち葺)

相輪塔、請花の下で縦笛を奏でる彫刻(写真 左)

延暦寺常行堂(じょうぎょうどう)・法華堂(写真右側奥)(重要文化財、桃山時代 文禄四年 1595年、宝形造、とち葺)

転法輪堂の南側、尾根の上にある。建物は双方とも、桁行五間、梁間五間、一重、宝形造の建物。信長の焼討ち後再建された。

廊下が双方を繋いでいることから、廊下を「にない棒」に見立てて、「にない堂」と呼んでいる

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延暦寺転法輪堂(重要文化財、桃山時代 貞和三年3年 1347年、入母屋造、とち葺形銅板葺)

転法輪堂(てんぽういんどう)は西塔の中心をなす大堂で、本尊に釈迦如来を祀ることから釈迦堂と呼ばれて親しまれている

信長の叡山焼討ち後、秀吉の命により文禄四年(1596)に園城寺弥勒堂(金堂)が移されたもので延暦寺では最古の建造物

*相輪塔に音楽を奏でる彫刻を発見したときはうれしかった。夢中で写真を撮っていて、三脚をひっくり返してしまった。

(平成17年11月12日撮影)