園城寺(おんじょうじ)〔三井寺〕三重塔(大津市園城寺町246)

  天智天皇が百済渡来の仏像を安置する為に本寺を創設したという。天台宗寺門派の総本山。西国三十三ヶ所第十四番の札所でもある

園城寺三重塔(重要文化財、室町時代初期 明徳三年 1392年建立、本瓦葺、高さ24.7m)


三層部(間斗束はない)

二層部(中央間のみ間斗束を置く)

この三重塔は、比曾寺(奈良県吉野郡大淀町))の塔で豊臣秀吉が伏見城に移築。さらに慶長6年(1601年)に徳川家康が、ここ園城寺に再移築した

塔は、擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、擬宝珠の位置が四隅のほか各辺の中央にもある。中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは三間とも間斗束を置く。


軒は全層二軒繁垂木の平行垂木

組物は和様三手先

園城寺(おんじょうじ)は、三井寺と呼ばれている。そのいわれは、天智・天武・持統天皇の三帝誕生の際に産湯を用いられたという

霊泉があり、「御井(みい)の寺」と呼ばれていたものを後に智証大師円珍が当時の厳儀・三部灌頂に用いたことに由来する

塔の内部は、四天柱・須弥壇があり天井は小組格天井



塔が、秋空に映えて美しい

(この塔は、写真に撮りにくい塔の上位に上げられると思う)

二・三層は中央間に菱組の格子をはめている

二層目の組高欄

園城寺は、平安・鎌倉を通じ、比叡山(山門)円仁門徒と争い、山門に対して寺門と称した。また、僧兵を養い、武門と争った大権力寺院 

金堂(国宝、桃山時代 慶長4年 1599年再建)

方七間、表側三間を礼堂(らいどう)、中心部の土間(五間・三間)を内陣、背面を後戸とする。

内陣・外陣境は板扉とし、内陣全体を板壁で囲み閉鎖的に造る。組物は二手先、屋根は入母屋造、桧皮葺

豊臣秀吉の妻 北政所により再建された金堂は、桃山時代を代表する名建築として知られる

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近江八景「三井の晩鐘」(重要文化財)

仁王門(重要文化財・宝徳四年 1452建立)
家康により、慶長六年(1452年)に甲賀の常楽寺より移築

一切経堂(右写真)(重要文化財・室町時代初期の建築)、毛利輝元により国清寺(山口県)より移築・寄進

 (平成16年10月10日撮影)