徳源院(とくげんいん)(清滝寺)三重塔(米原市清滝288)

  近江の守護職であった佐々木氏の一族で、江戸時代まで栄えた京極氏の菩提寺

徳源院三重塔(県指定文化財、江戸時代初期 寛文十二年 1672年、こけら葺、高さ 15.52m)


各層とも、軒は二軒繁垂木、組物は三手先(写真は二層部)

屋根は昭和の修理で、桟瓦葺から、こけら葺に改められた

徳源院は清滝寺(きよたきでら)とも呼ばれ、鎌倉時代より近江の守護であった佐々木氏の一族で、鎌倉時代から江戸時代まで栄えた京極氏の菩提寺

弘安年中(1278〜1287)に佐々木氏の始祖、佐々木氏信によって創立され定誓上人を開山とする

三重塔は、擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは中央間のみ間斗束

佐々木氏の第五代 高氏(佐々木道誉)は婆娑羅大名として、その名をはせた


二層部の組高欄

初層、三手先組物

 塔は、寛文十二年(1672)に建立され、昭和52年に修理が終わった。この時に、相輪の露盤・覆鉢・水煙が新調された

塔の内部は来迎柱があり、須弥壇を設ける


初層、尾垂木付の和様三手先組物と軒(二軒繁垂木)

初層、擬宝珠高欄を付した縁側

江戸時代、京極高和の代に讃岐の丸亀に封ぜられた

寛文十二年(1672)、その子 高豊が領地の一部と、この地を交換して寺を復旧し、三重塔を建立した。院号も高和の院号から、徳源院と改称した

伊吹山のふもとをはしるJR東海の列車

徳源院は、伊吹山(1377m)の近くにあり、鉄道は JR東海の管轄になる

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上段の墓所(始祖氏信ほか18基)

下段の墓所(木廟内の4基を含めて14基)

 史跡・京極家墓所(江戸時代に二十二世 高豊が歴代当主の墓を一堂に集め整備した)

* JR東海道本線 柏原(かしわばら)駅 下車、徒歩約15分。JR柏原辺りは、中山道・柏原宿として江戸時代、457軒もの店や宿がひしめく大規模な宿場町だった。今も当時のおもかげを残す。「伊吹もぐさ」の産地として、よく知られていた。

(平成18年10月7日撮影分を大幅追加)