社氏墓地(やしろしぼち)三尊種子板碑(滋賀県蒲生郡日野町村井字菅谷)
馬見丘綿向(うまみおかわたむき)神社の宮司 社氏(やしろし)墓地の中央奥に立つ鎌倉時代後期 延慶三年(1310)在銘で、関西における第一級の板碑。
社氏墓地 三尊種子板碑(町指定文化財、鎌倉時代後期 延慶三年 1310年、花崗岩、高さ 215Cm)
頭部山形、下に二段の切込、額部は突出する。身部は上方に阿弥陀・地蔵・一字金輪の三尊種子を薬研彫し、下に五行にわたり銘文を刻む |
板碑 頭部
頭部山形、下に二段の切込、額部は薄く突出する
身部上方中央に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向かって右下に地蔵の種子「カ」、左下に一字金輪の種子「ボロン」、その下に銘文を刻む |
板碑の銘文
銘文:「二親幽霊並法界」「衆生成仏得道也」「右率都婆志者」「延慶三年(1310)十月十六日」「願主内記重吉」
花崗岩製の整形板碑で、関西における第一級の本格的板碑 | 板碑 側・背面、身部背面は荒叩きとする |
板碑頭部 側面
二段の切込は深く、側面にまで及び、額部の突出は薄い
馬見丘綿向神社 (うまみおかわたむきじんじゃ)
平安時代初期に社殿が造営され、中世から近世初期にかけて蒲生氏代々の庇護を受け、江戸時代は日野商人の崇敬をあつめた
*社氏墓地板碑。馬見岡綿向神社東側に沿った道をまっすぐ山裾まで行けば菅谷(すげたに)墓地につきあたる。墓地を西側に20mほど進んだ山裾に立っている。
(撮影:平成19年7月16日、平成23年10月26日)