安国寺(あんこくじ)宝篋印塔

 安国寺(あんこくじ)宝篋印塔(島根県松江市竹矢町993)

  近江源氏の家系であり、小浜城主として若狭及び越前敦賀郡を領した京極高次の法名と没年月日を刻む宝篋印塔で、子息の松江藩主 京極忠高が造立した。

安国寺(あんこくじ)宝篋印塔 [市指定文化財、江戸時代前期、笏谷石(凝灰岩)、総高 163Cm]

塔身側面、両側面は無地、金剛界四仏の種子を略したものと思われる。
宝篋印塔は、本堂の向かって右側前方の一画に安置されている 塔身背面、背面は無地。金剛界四仏の種子を略したものと思われる。

滋賀県 徳源院(滋賀県)の京極高次塔が本塔と同形で、塔身に金剛界四仏を刻んでいる所から、側・背面の梵字は略されたと思われる。

笠の段型は下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭付で大きく外傾する。

塔身 正面

蓮華座上に小花弁を配した月輪内に金剛界四仏 阿閦如来の種子「ウーン」を刻む。

徳源院(滋賀県)の京極高次塔の塔身正面

近江 徳源院に同形の高次塔があり、塔身は蓮座上に、小花弁を配した月輪内に阿閦如来の種子「ウーン」を、他の三面は直接金剛界四仏の種子を刻む。

宝篋印塔は、越前産の笏谷石で作る。相輪は下から、反花文の伏鉢、請花、九輪、請花、宝珠で、九輪は輪を刻まず無地に仕上げている。

基礎 正面

基礎上端は二段、側面は輪郭を巻き、内に短冊型をつくり中央と左右に銘文を刻む。

刻銘:「慶長十四年(1609)己酉年」、「泰雲院殿前三品相公、徹宗道閑大居士神儀」、「五月三日」

刻銘は、福井県小浜城主として若狭及び越前敦賀郡を領した京極高次の法名と没年月日で、寛永十一年(1614) 松江藩に転封した子息の藩主 京極忠高が造立した。

刻銘:「五月初三日」 刻銘:「泰雲院殿前三品相公、徹宗道閑大居士神儀」 刻銘:「慶長十四年(1609)、己酉、年」

塔身正面の刻銘

基礎 側面

基礎の両側面は、左右に縦連子と格狭間を上下に配する越前文様。尚、基礎背面は素面。

佐々木京極氏の菩提寺である近江 徳源院には鎌倉時代からの歴代当主 他三十四基の宝篋印塔があり、同形の笏谷石製 京極高次供養塔(宝篋印塔)がある。

反花座 (かえりばなざ)

この反花座のみ地元の来待石(凝灰岩)製で、覆輪(ふくりん)を付けた単弁の蓮弁を配している。

 長寿寺(ちょうじゅじ)十三重石塔                            石仏と石塔-目次!

安国寺(あんこくじ)(臨済宗 南禅寺派)

宝亀四年(773)の創建で、当時は円通寺と称した。康永四年(1345)足利尊氏が全国に安国寺を建立するにあたり「安国寺」と改称した。

宝篋印塔紀年順  水間寺(みずまでら)千日隔夜宝篋印塔(江戸時代中期)  宝篋印塔-紀年順-目次

*JR山陰本線 「東松江駅」下車、南西方向へ徒歩 約12分。

(撮影:平成24年9月18日)