地福寺(じふくじ)(千葉県香取市大戸594)
現在、知見できる最も古い年号を持つ下総型板碑の一基で、鎌倉時代中期 正元元年(1259)九月の紀年銘がある。
地福寺 金剛界大日一尊種子板碑 (県指定文化財、鎌倉時代中期 正元元年 1259年、黒雲母片岩、高さ 121Cm 幅 36Cm)
身部は、天蓋の下に金剛界大日如来の種子「バン」を蓮華座上に薬研彫し、下方に観無量寿経に出る偈(げ)、その下に願文及び紀年銘を刻む。
板碑 頭部
頭部は低い山形、下に二条線。身部の輪郭はない。
身部 上方 天蓋(てんがい)
棒状の瓔珞(ようらく)が付く豪華な天蓋は、下総型板碑の特徴ともいえる。
天蓋の下、金剛界大日如来の種子「バン」を蓮華座上に刻む | 身部下方、観無量寿経に出る偈、その下に願文及び紀年銘を刻む |
下総型板碑 最古の紀年銘は、正嘉二年(1256)で袖ヶ浦市の笠上寺院跡で発見され、現在行方不明。その次が香取市内にある正元元年(1259)銘 板碑四基。
板碑四基は、小見川図書館所在の八月二十二日銘、惣持院(県立大利根分館展示)の九月三日銘、そして地福寺の九月銘、十月二十五日銘の四基である。
観無量寿経の偈(げ)
偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)」
[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]
密教の金剛界大日如来が主尊になっているが、観無量寿経に出る偈を刻んでいるところから浄土信仰が背景にあることがわかる。
身部 下端の刻銘
向かって右に「右志者為師長父母」、左に「往生極楽頓證菩提也、僧口慶所造立也」、中央に「正元々年(1259)己未九月日」と刻む。
低い山形、身部に輪郭を巻かない等、早期板碑の特徴がある | 刻銘:「正元々年(1259)己未九月日」 |
板碑 収蔵の覆屋
正元元年九月(1259)銘の板碑は、向かって左から二基目、その隣 三基目が正元元年十月(1259)銘板碑。背面にも六基、展示されている。
地福寺(じふくじ)金剛界大日一尊種子板碑(2) 石仏と石塔-目次!
地福寺(じふくじ)本堂 (臨済宗妙心寺派)
*JR成田線 「大戸駅」下車、南東方向へ徒歩 約10分。
(撮影:平成23年11月3日)