地福寺(じふくじ)金剛界大日一尊種子板碑(2)

 地福寺(じふくじ)(千葉県香取市大戸594)

  現在、知見できる最も古い年号を持つ下総型板碑の一基で、鎌倉時代中期 正元元年(1259)十月二十五日の紀年銘がある。

地福寺 金剛界大日一尊種子板碑 (県指定文化財、鎌倉時代中期 正元元年 1259年、黒雲母片岩、高さ 145Cm 幅 41Cm)

身部は、天蓋の下に金剛界大日如来の種子「バン」を蓮華座上に薬研彫し、下方に四句の偈(げ)、その下に願文及び紀年銘を刻む。

板碑 頭部

頭部は低い山形、下に二条線。身部の輪郭はない。

身部 上方 天蓋(てんがい)

天蓋の下、金剛界大日如来の種子「バン」を蓮華座上に刻む 身部下方、四句の偈(げ)、その下に願文及び紀年銘を刻む

下総型板碑 最古の紀年銘は、正嘉二年(1256)で袖ヶ浦市の笠上寺院跡で発見され、現在行方不明。その次が香取市内にある正元元年(1259)銘 板碑四基。

板碑四基は、香取市文化財保存館の八月二十二日銘、惣持院(県立大利根分館展示)の九月三日銘、そして地福寺の九月銘、十月二十五日銘の四基である。

四句の偈(げ)(出典未詳)

偈(げ):「若作五逆罪(にゃくさくごぎゃくざい)、得聞六字名(とくもんろくじみょう)、火車自然去(かしゃじねんきょ)、花台即来迎(かだいそくらいごう)

[ 若し五逆の罪をつくるとも、六字の名号を聞くを得ば、火車(罪人を地獄へ送る火のついた車)は自然に去り、花台(観音の持つ蓮台)がすぐに来迎せん。]

身部 下端の刻銘

向かって右に「右志者為過去悲母」、左に「聖霊往生極楽也、丹治口口、丹治廣口、敬白」、中央に「正元々年(1259)己未十月廿五日」と刻む。

板碑に丹治氏の名が刻まれており、板碑発生を担った武蔵武士団の丹党との係わりが気になる。

低い山形、身部に輪郭を巻かない等、早期板碑の特徴がある 刻銘「正元々年(1259)己未十月廿五日」

 地福寺 弘安五年銘 金剛界大日種子板碑                     石仏と石塔-目次!

板碑 収蔵の覆屋

正元元年(1259)十月二十五日銘の板碑は、向かって左から三基目、その左隣 二基目が正元元年(1259)九月銘板碑。

 板碑(いたび)

*JR成田線 「大戸駅」下車、南東方向へ徒歩 約10分。

(撮影:平成23年11月3日)