地福寺(じふくじ)(千葉県香取市大戸594)
金剛界大日如来の種子を刻む下総型板碑で、頭部の二条線がない。鎌倉時代中期 弘安元年(1278)の紀年を刻む。
地福寺(じふくじ) 金剛界大日一尊種子板碑 (鎌倉時代中期 弘安元年 1278年、黒雲母片岩、高さ 100Cm 幅 36Cm)
身部は、天蓋の下に金剛界大日如来の種子「バン」を蓮華座上に、左方に紀年銘、右方と中央部に造立趣旨・造立者名を刻む。
板碑 頭部
頭部山形、下の二条線と身部の輪郭は刻まない。
身部の刻銘(全文) | 刻銘:「弘安元年(1278)、戊寅、十一月廿五日」 |
紀年銘は、向かって左側に「弘安元年(1278)、戊寅、十一月廿五日」、右側に「右志者為別館代當社、大戸」、中央に「孝子、性願口」と刻む。
上部を欠く下総型板碑で、身部中央に阿弥陀如来の種子と天蓋の瓔珞が残る。鎌倉時代後期 元亨二年(1322)の紀年銘を刻む。
地福寺(じふくじ)阿弥陀一尊 種子板碑 (鎌倉時代後期 元亨二年 1322年、粘板岩、高さ 60Cm 幅 45Cm)
板碑 上部
特長のある蓮華座上に、阿弥陀如来の種子「キリーク」を刻む。天蓋の瓔珞(ようらく)が美しく残っている
板碑 下部
身部は、上下に輪郭を巻く。下方の輪郭内に観無量寿経に出る「光明遍照 十方世界」の偈(げ)を刻み、両側に願文と紀年銘を刻む。
両側の刻銘:「右志者為悲母聖霊一百ケ、日頓證菩提乃至法界平等也」、「時也元亨第二之天(1322)、口口口列口之口口」
[ 亡き母、百か日の追善供養にあたり、亡き母が速やかに悟りの境地に達する(頓證菩提)とともに、法界平等を願って造立された。]
中央、観無量寿経の偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)」
[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]
上の断碑の下に置かれているが別物。身部の下部を残し、上部を欠失する。長い銘文が刻まれている。
地福寺(じふくじ)断碑(黒雲母片岩、高さ 39Cm 幅 57.5Cm)
銘文の最後に「・・・・・五年卯月日」と刻み、年号部を欠く
地福寺(じふくじ)釈迦・阿弥陀種子双式板碑 石仏と石塔-目次!
板碑 収蔵の覆屋(背面)
弘安元年(1278)銘の板碑は、向かって左端。元亨二年(1322)銘断碑は左から三基目。
*JR成田線 「大戸駅」下車、南東方向へ徒歩 約10分。
(撮影:平成23年11月3日)