延命寺(えんめいじ)板碑群(1)

 延命寺(えんめいじ)(東京都板橋区志村1-21-12)

延命寺 文明十九年銘 阿弥陀三尊種子板碑

 板碑群後方の石碑に記されている板碑で、明治43年10月に志村字天神前から発掘された。室町時代中期 文明十九年(1487)の紀年銘がある。

延命寺 阿弥陀三尊種子板碑(区登録文化財、室町時代中期 文明十九年 1487年、緑泥片岩、高さ 50Cm 幅 21Cm)

建長板碑の向って右横に立つ。中央部で斜めに二分断、コンクリートで側・背面を保護する。身部に阿弥陀三尊の種子、下方に銘文を刻む。

身部上方 蓮華座上月輪内に阿弥陀の種子「キリーク」、向って右下 月輪内に観音の種子「サ」、左に勢至の種子「サク」を月輪内に刻み阿弥陀三尊とする。

主尊の阿弥陀如来は蓮華座がつくが、脇侍の観音・勢至には蓮華座がつかない。

板碑 下方の銘文

中央に「妙祐禅尼」、その両側に「文明十九年(1487)、三月二日」、外側左右に無量寿経に出る偈(げ)を刻む。

偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)十方世界(じっぽうせかい)」「念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)摂取不捨(せっしゅふしゃ)

[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず ]

延命寺 文明六年銘 月待板碑(断碑)

 板碑群後方の石碑に記されている月待板碑で、明治42年 城山城址より発掘された。室町時代中期 文明六年(1474)の紀年銘がある。

板碑上方を欠失する。一重線の輪郭を巻き、両端に光明真言を刻む 刻銘:「奉月待供養結衆文明六年、甲午三月廿三日」

延命寺 月待板碑 (区登録文化財、室町時代中期 文明六年 1474年、緑泥片岩、高さ 43Cm 幅 30Cm)

上方中央部は、前机に敷布をかけ卓上に三具足(燭台・香炉・花瓶)を配置、下方の両側に「三郎・太郎・四郎・二郎」「三郎・四郎 敬白」と刻む。

中央は「奉月待供養結衆」、両側に「文明六年(1474)、甲午」「三月廿三日」と刻む。

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」

月待は、十三夜・十六夜・十九夜・二十三夜などの日に月の出を待ちながら飲食をともにし、月を拝む行事で、二十三夜が圧倒的に多く、当板碑も二十三日に造立されている。

延命寺 宝徳二年銘 阿弥陀三尊種子板碑

 板碑群の前列左端に立つ板碑で、身部に阿弥陀三尊を種子で刻む。室町時代前期 宝徳二年(1450)の紀年銘がある。

延命寺 阿弥陀三尊種子板碑(区登録文化財、室町時代前期 宝徳二年 1450年、緑泥片岩)

頭部山形、下に二段の切込、身部は一重線の輪郭を巻き、阿弥陀三尊の種子、下方に「浄清禅尼、宝徳二年(1450)三月十五日」と刻む

身部上方 蓮華座上月輪内に阿弥陀の種子「キリーク」、向って右下 月輪内に観音の種子「サ」、左に勢至の種子「サク」を月輪内に刻み阿弥陀三尊とする。

主尊の阿弥陀如来は蓮華座がつくが、脇侍の観音・勢至には蓮華座がつかない。

延命寺 板碑群 (区登録文化財、鎌倉時代中期~室町時代)

建長四年銘板碑を始めとした十四基の板碑が、区の登録文化財に指定されている。

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延命寺(えんめいじ) 本堂

 板碑(いたび) 

*都営地下鉄三田線 「志村坂上駅」下車 、南西方向へ 徒歩 約5分。

(撮影:平成24年11月14日)