龍福寺(りゅうふくじ)(東京都板橋区小豆沢4-16-3)
光明真言を刻んだ板碑としては早期のもので、光明真言の梵字は通常のものと相違がある。鎌倉時代後期 延慶二年(1309)の在銘。
龍福寺(りゅうふくじ) 阿弥陀三尊種子板碑 (鎌倉時代後期 延慶二年 1309年、緑泥片岩)
頭部の一部を損傷する。身部上方は、蓮華座なしに阿弥陀三尊の種子、下方中央に延慶二年の紀年銘、両脇に光明真言を刻む |
板碑 頭部
頭部山形の一部を損傷する。下に二段の切込、額部はなく、身部の輪郭もない。
身部上方、蓮華座なしに阿弥陀三尊を種子で刻む | 下方の刻銘、中央に紀年銘、左右に四行 梵字で光明真言を刻む |
三尊種子は、上に大きく阿弥陀如来の種子「キリーク」、向かって右下に観音菩薩の種子「サ」、左下に勢至菩薩の種子「サク」を薬研彫する。
下方中央に「口慶二年(1309)、己酉、五月九日」、左右に四行 梵字で光明真言を刻む。光明真言は、通常の梵字と異なり、かなり相違がある。
龍福寺 延慶二年銘板碑の光明真言
服部清道氏は、「板碑概論」のなかで、「光明真言の綴りに就いては古来諸師の説が一定しなかったものと思われ」 とこの板碑を紹介している。
普通型 西見寺板碑の光明真言
光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」「シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ」「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」
光明真言を唱えることは、亡者往生を可能とする真言として定着した。
光明真言を刻む古い武蔵型板碑としては、騎西町 大英寺の文永十二年(1275)の板碑がある。
紀年銘は、下方中央に「口慶二年、己酉、五月九日」と刻まれ、年号の最初の文字が不明だが、干支の己酉から延慶とわかる |
龍福寺(りゅうふくじ) 阿弥陀三尊種子断碑 (南北朝時代初期 建武三年 1336年、緑泥片岩)
板碑は上半を欠損する。阿弥陀三尊の種子を刻んだ板碑で、下方中央に「建武三年(1336)」の紀年銘、左右に光明真言を刻む。
断碑だが、脇侍の種子が完存し、形が整っている | 刻銘:「光蓮、建武三年(1336)」 |
龍福寺(りゅうふくじ) 阿弥陀三尊種子板碑
鎌倉中期、鎌倉後期、南北朝と時代の異なる阿弥陀三尊種子板碑が三基並んで立っている。
しかも、三基とも種子に蓮華座がない。左右の二基は、中央の建長七年(1255)銘板碑をコピーしたものだろうか。
龍福寺(りゅうふくじ) (真言宗智山派)
*都営三田線 「志村坂上駅」下車、徒歩 約10分。JR埼京線「北赤羽駅」下車、南西方向へ 徒歩 約15分。
(撮影:平成23年11月2日)