東根(ひがしね)石造宝塔

 東根(ひがしね)石造宝塔(東根供養塔)(栃木県下野市東根5-1)

   鎌倉時代前期 元久元年(1204)の在銘宝塔で、塔身に大きな金剛界四仏の種子と偈頌(げじゅ)・銘文を刻んでいる。

東根(ひがしね)石造宝塔(県指定文化財、鎌倉時代前期 元久元年 1204年、凝灰岩、高さ 177Cm)

相輪、下から伏鉢、請花、九輪は二輪を残し上部と請花・宝珠を欠失する
宝塔は、下野市 吉田西小学校南側県道の西 約300m、南側に立つ。 首部、形状は一段で無地、やや背が高い。

笠は低平で、軒の反りは緩く、軒裏は平で垂木型は刻まない。

塔身東面、大月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(ウーン:阿閦如来)
塔身、軸部は背が高い円筒型で、四面に金剛界四仏の種子を刻む 塔身南面、大月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(タラーク:宝生如来)

種子「ウーン」面(東面)の下方に蓮華三昧経(妙法蓮華経三昧秘密三摩耶経)に出る偈(げ)、種子「タラーク」面(南面)の下方に「即身成仏義」に出る偈(げ)が刻まれている。

蓮華三昧経に出る偈(げ)(東面、種子「ウーン」の下)

偈(げ):「帰命本覚真(心)法身(きみょうほんがくしんほうしん) 常住妙法心蓮台(じょうじゅうみょうほうしんれんだい)

本来具足三身徳(ほんらいぐそくさんしんとく) 三十七尊住心城(さんじゅうしちそんじゅうしんじょう)

[ 本覚心の法身(大日如来)に帰命し奉る。常に妙法の心蓮台に住し、もとよりこのかた法身・報身・応身の三身徳をそなえ、三十七尊の心城に住す ]

※ 心蓮台は、自性心の清浄なるを心蓮とする、心蓮の台である。三十七尊は、金剛界曼荼羅の主要な尊体。心城は、

その諸尊の心を城にたとえたもの、心の動揺を防ぐ意がある。(「日本石造美術辞典」、川勝政太郎 著、東京堂出版)

西面、大月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(キリーク:阿弥陀如来)
塔身北面、大月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(アク:不空成就如来) 塔身、大月輪内種子の下、三面は四句の偈(げ)、一面は銘文を刻む。

即身成仏義に出る偈(げ)(南面、種子「タラーク」の下)

偈(げ):「六大無礙常瑜伽(ろくだいむげじょうゆが) 四種曼荼各不離(ししゅまんだかくふり)

三密加持速疾顕(さんみつかじそくしっけん) 重々帝網名即身(じゅうじゅうたいもうみょうそくしん)

[ 六大(地・水・火・風・空・識)は無礙(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)である。四種の曼荼羅は各々

離れず関係を持ち、三密を加持すれば速やかに顕れ、帝網の如く無尽に働く、これを即身と名付ける ]

南面、「タラーク」の下方に「即身成仏義」に出る偈(げ)を刻む 塔身西面、「キリーク」の下方に菩提心論に出る偈(げ)を刻む

塔身西面、「キリーク」の下方に刻まれた菩提心論の偈(げ)は、表面の剥落が激しくほぼ判読できない。

菩提心論に出る偈(げ)(種子「キリーク」の下)

偈(げ):「八葉白蓮一肘間(はちようびゃくれんいっちゅうけん) 炳現阿字素光色(ひょうげんあじそこうしき)

禅智倶入金剛縛(ぜんちくにゅうこんごうばく) 召入如来寂静智(しょうにゅうにょらいじゃくじょうち)

[ 八葉の白蓮 一肘(いっちゅう)の間に、阿字(梵字「ア」)が純白に輝き現れる。禅智ともに金剛縛に入り、如来の寂静智に召入される ]

※ 白色にかがやく八葉白蓮の上の阿の種子を観じる阿字観をたたえる。一肘(いっちゅう)は肘端から指先までの長さ、

一尺八寸(54.5Cm)。金剛縛は、指を組み合わせる印の名。(「日本石造美術辞典」、川勝政太郎 著、東京堂出版)

刻銘、     刻銘、

塔身 北面(種子「アク」の下)の刻銘

刻銘 「右志者、過去慈父、現在悲母、成仏得道、証大菩提、造立」

刻銘 「文久元年(1204)、大歳、甲子、十二月十八日、大檀那佐伯伴行、緑文藤原氏同口、行事僧日无山小聖、大工伴宗安、小工楊候行真

文久元年(1204)十二月十八日、佐伯伴行とその妻(藤原氏)が大檀那となり、両親の成仏得道を願ってこの宝塔を造立した。

大工 伴宗安と手下の小工 楊候行真の名が刻まれており、鎌倉時代前期の石工名として興味深い。

基 礎

基礎は低平で、古式を表す。

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東根(ひがしね)石造宝塔(県指定文化財、鎌倉時代前期)

石造宝塔は、覆屋の中に安置されている。鎌倉時代前期 元久元年(1204)の古い紀年銘があり、大変貴重な作品。

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*JR宇都宮線「小金井駅」下車、東方向へ徒歩 約57分。

(撮影:平成24年4月24日)