花見潟墓地(はなみがたぼち)石造宝塔(赤碕塔)

 花見潟墓地(はなみがたぼち)石造宝塔(赤碕塔)(鳥取県東伯郡琴浦町赤碕)

   宝塔と宝篋印塔が融合するこの地方独特の形式で、故 川勝政太郎博士が この形式の宝塔を「赤碕塔(あかさきとう)」と名付けた。

花見潟墓地 石造宝塔(赤碕塔) (県指定文化財、鎌倉時代後期、安山岩、高さ 315Cm)

塔身上部、頂部は丸みを持たせ、首部は作らない。
花見潟墓地は海に面した広大な墓地で、その東寄りに立っている 塔身南面、風化が激しくかなり傷んでいる。

宝篋印塔式の笠で、下二段、上七段の段型、最上部は露盤とする。隅飾りは小さい二弧無地で、外に傾斜する。

塔 身

首部はなく、側面の四方に扉型、下部に単弁の反花座を刻み出す。

宝塔と宝篋印塔が融合した地方色豊かな石塔は、この地方に数点あり、故 川勝政太郎博士により「赤碕塔」と名付けられた。

地方名がついた宝塔は、他に大分県国東地方の「国東塔(くにさきとう)」(故 天沼俊一博士命名)がある。

鎌倉時代の宝塔遺品は全国的に相当分布しているが、比叡山天台膝下の近江と、天台密教の霊地国東半島とに断然多いということは、多宝塔と法華経と

天台宗の関係から見て、これらの地方では宝塔(一重多宝塔)形式を採用しやすい状況があったものと思われる。(「新版 石造美術」、川勝政太郎 著)・・

この花見潟墓地宝塔(赤碕塔)も、天台宗に関係があったと思われる。

塔身下部

単弁の反花座を、同石から刻み出している。

相輪頂部、宝珠を欠損する。請花は、弁間に猪ノ目、下に剣頭文を刻む
相輪、下から伏鉢・請花・九輪・請花・宝珠で、宝珠を欠損する 相輪下部、伏鉢は八角で、請花は弁間に猪ノ目(ハート形)をつくる

基礎・台座

基礎と台座は一石で作る。基礎上端は二段、側面は二区で夫々内に格狭間を入れる。

花見潟墓地(はなみがたぼち)石造宝塔(赤碕塔) (県指定文化財、鎌倉時代後期)

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花見潟墓地(はなみがたぼち)

花見潟墓地は、海岸に面した自然発生型墓地で、西日本最大級の規模。二万余基の墓がある。

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*JR 山陰本線「赤碕駅」下車、北東方向へ徒歩 約12分。赤碕駅から北へ約100mの五差路を北東方向へ進み、赤碕交差点を過ぎて民家につき当たる。そこから海へ下りる小道を降りて行けば二基の赤碕塔が見える。

(撮影:平成24年9月17日)