根来寺(ねごろじ)大塔(多宝塔)(岩出市根来2286)

  新義真言宗の総本山。覚ばん上人が1130年(大治五年)に高野山に開いた伝法院に始まる。

  覚ばん上人の教えと隆盛に反発した金剛峯寺宗徒との抗争を避けて、正応元年(1228)大伝法院と蜜蔵院が高野山を離れて根来に移り大伽藍が整備され根来寺が成立した

根来寺大塔(国宝、室町時代 天文16年 1547年建立、本瓦葺、高さ 35.1m)

根来寺大塔は真言密教の教義を形で示したもので、高野山大塔に倣って造られたとされる


上重部(建立当初から隅に支柱を立てて垂下を防いでいる)

下重部(方五間、総間が14.9mもある)

相輪(右)は多宝塔と同型で永正十年(1513年)に鋳造された

塔は、擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央の三間は板唐戸、脇間連子窓、中備えは五間とも間斗束をおく

五間×五間の平面を持つ多宝塔形式の塔を大塔という。現存するものはほとんどない。そのうちの一基がこの塔である

根来寺は、室町以降強力な僧兵を有し軍事力を誇ったが、秀吉に攻められ大伝法院の一角と二、三の寺院を残すのみで他は焼失した。大塔・太子堂以外の建物は江戸時代の建立


相輪部の宝珠(上)と花輪

上重の四手先組物

下重の二手先組物と軒(二軒繁垂木)

下重は、方柱で頭貫(かしらぬき)に大仏様の木鼻をつける。組物は二手先。上重は、円柱で組物は四手先、軒は両方とも二軒繁垂木

大塔の下重内部は12本の柱を円形に並べて内陣としている

大塔といわれるだけあって、とにかくでっかい建物だ!


大塔、下重の風鐸(大きい!)

下重、四隅の鬼瓦(これも大きい!)

多宝塔とは、形は空海が高野山に建てた大塔から、名前は最澄が全国6か所に建てた法華経を安置する塔から始まったとされる

大傳法堂(江戸時代  文政10年 1827年再建、堂内中央に重文の大日如来を安置する)

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大門 (江戸時代後期 1850年 再建、高さ16.88m、横幅17.63m、奥行6m)

根来一山の総門。左右に仁王像を配する

(撮影:2004年9月18日、2011年2月19日)