源久寺(げんきゅうじ)宝篋印塔

 源久寺(げんきゅうじ)宝篋印塔 (山口県山口市仁保下郷2913-5)

  大賀ハスに囲まれて立つ宝篋印塔は、山口県を代表する鎌倉時代後期の作品。

源久寺(げんきゅうじ)宝篋印塔 (県指定文化財、鎌倉時代後期、凝灰岩、基礎から八輪の上端迄高さ 163Cm)

塔身正面、塔身は四面とも無地。山口県の宝篋印塔は無地が多い
源久寺の手前(東側)約50m、大賀蓮を植えている 蓮池の中央に立つ 塔身背面、塔身は四面とも無地。山口県の宝篋印塔は無地が多い

笠の段型は下二段、上六段で下から上へと高さを逓減する。隅飾は二弧輪郭付で直立する。

相輪は下から、伏鉢、請花、九輪、請花、宝珠で、上方の九輪目と請花・宝珠は新補。宝篋印塔は、山口県を代表する鎌倉時代後期の作品。

基 礎

基礎上端は複弁反花で、更に一段を作る。子持ちの複弁が特徴的で背が高い。側面は四面とも素面。

宝篋印塔は、源久寺を建立した平子(たいらご)重経の墓と伝えるが、重経は鎌倉中期 元仁元年(1224)に没する。宝篋印塔は、それより後の鎌倉後期の作品。

基 壇

石塔と同じ凝灰岩で、切石を積んで二段とする。

大賀蓮(おおがはす)

約二千年前の遺跡から見つかった古代ハスで、夏のシーズンには多くの鑑賞客が訪れる。

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源久寺(げんきゅうじ) (曹洞宗)

源 頼朝に仕え、仁保地方へ地頭として来任した平子(たいらご)重経が、頼朝の死後 位牌安置として建立した。

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*JR山陽本線 山口駅前から防長バス 井開田行きに乗車、「門前バス停」下車、北西方向へ徒歩 約8分。

(撮影:平成24年9月20日)