浄西寺(じょうさいじ)石塔婆

 浄西寺(じょうさいじ)(山口県大島郡周防大島町油宇1176)

   阿弥陀、観音、勢至と三基あったが、勢至碑は失われ阿弥陀と観音の石塔婆が残る。 阿弥陀碑に鎌倉時代前期 建仁二年(1202)の紀年銘がある。

浄西寺石塔婆(中尊、阿弥陀仏)(県指定文化財、鎌倉時代前期 建仁二年 1202年、安山岩、高さ 176Cm 最大幅 42Cm)

浄西寺石塔婆(観音)(県指定文化財、鎌倉時代前期 、安山岩、高さ 172Cm 最大幅 35Cm)

 浄西寺(じょうさいじ)石塔婆(中尊、阿弥陀仏)

   三基あった石塔婆の中尊にあたり、「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれている。石塔婆でも早期、鎌倉時代前期 建仁二年(1202)の紀年銘がある。

もと三基あった中尊の石塔婆で、上部を欠損する。残存部に弥陀仏、その下に建仁二年(1202)の紀年銘と造立願人の名を刻む。

浄西寺石塔婆(中尊、阿弥陀仏)(県指定文化財、鎌倉時代前期 建仁二年 1202年、安山岩、高さ 176Cm 最大幅 42Cm)

石塔婆 上部

頭部を欠損する。

もと石塔婆の上部には、阿弥陀の種子「キリーク」を刻み、下に「南无(無)阿弥陀仏」の名号を刻んでいたと推測されている。

刻銘全文:南无(無)阿(弥陀)仏」「建仁二丈(年)(1202)、才次、壬戌、十一月下旬」「造立願人、大宅正國、女施主清原氏」

六字名号石塔婆は、大宅正国とその妻 清原氏を願人として鎌倉時代前期 建仁二年(1202)十一月下旬に造立された。

石塔婆 上方の刻銘

刻銘:(弥陀)仏」

刻銘:「建仁二丈(年)(1202)、才次、壬戌、」「十一月下旬」 刻銘:「造立願人、大宅正國、女施主清原氏」

石塔婆 の刻銘、紀年銘と願人

石塔婆 下方の刻銘

刻銘:「願人、大宅正國、女施主清原氏」

石塔婆 根部

コンクリートに埋め込まれる。

 浄西寺(じょうさいじ)石塔婆(脇侍、観音菩薩)

   三基あった石塔婆の脇侍にあたり、「南無観世音菩薩」の名号を刻む。もう一基あった「南無大勢至菩薩」の石塔婆は亡失する。

もと三基あった脇侍にあたる。石塔婆の正面を平にして、上方に増長天の種子「ビ」、その下に「南无(無)観世音ササ(菩薩)」と刻む。

浄西寺(じょうさいじ)石塔婆(観音)(県指定文化財、鎌倉時代前期 、安山岩、高さ 172Cm 最大幅 35Cm)

石塔婆 頭部

頭部は、山形に近い形状。

種子「ビ」の下に「南无(無)観世音ササ(菩薩)」と刻まれている。亡失したもう一基には「南无(無)大勢至ササ(菩薩)」とあった。

南無観世音菩薩の「无(無)」と「ササ(菩薩)」は異体文字で刻まれる。鎌倉時代前期に刻まれた文字は古調で美しく、宗教性すら感じさせる。

石塔婆上方、増長天の種子「ビ」

観音菩薩と種子「ビ」が同時に刻まれた例としては、岡山県高梁市の保月六面石幢がある。

石塔婆 根部

コンクリートに埋め込まれる。

鎌倉時代前期の石塔婆で、阿弥陀三尊を夫々、別の石塔に刻んだものは珍しく、浄西寺の石塔婆だけと思われる。

二基の石塔婆が納められている小堂

 神光寺(じんこうじ)善光寺三尊板碑                           石仏と石塔-目次!

浄西寺(じょうさいじ) 本堂 (浄土宗)

 板碑(いたび)

*JR山陽本線 大畠駅前から防長バス 周防油宇行きに乗車72分、終点「周防油宇バス停」下車、北西方向へ徒歩 約10分。二基の石塔婆は、境内の小堂に納められている。

(撮影:平成24年9月22日)