利生山(りしょうざん)永福寺跡 石塔婆

 利生山永福寺跡(りしょうざんえいふくじあと)石塔婆(山口県長門市日置中6455)

   地元では、「利生山」と呼ばれている永福寺跡で、昭和46年(1971)頃 発見された石塔婆。鎌倉時代前期 寛喜元年(1229)の紀年銘がある。

利生山永福寺跡石塔婆 (県指定文化財、鎌倉時代前期 寛喜元年 1229年、玄武岩、高さ 85Cm 最大幅 59.6Cm)

利生山永福寺 薬師堂に向かって右側手前、覆屋の中に置かれる。自然石の表面を平らにし、その面に銘文を刻む。尚、梵字は刻まない。

石塔婆 頭部

少し手を加え、頭部を山形にしており、二条線はない。

刻銘全文」、刻銘の寛喜元年(1229)は、全国的にも古い紀年銘。 刻銘:「寛喜元年、(1229)、己丑

刻銘全文:「百基 為願所 御祈祷也」「寛喜元年(1229)、己丑九月十八日」「一千百 大勧進 物阝(物部)守圀(守国)

尚、造立者の「物部守国」の名は、当地の日置八幡宮棟札にも見え、天福元年(1233)に地頭 藤原又次とともに日置八幡宮の社殿を造立している。

利生山永福寺跡石塔婆 (県指定文化財、鎌倉時代前期 寛喜元年 1229年) 

台石に載せるとき、底辺部を欠失する。

刻銘:「一千百 大勧進 物阝(物部)守圀(守国) 刻銘:「百基 為願所 御祈祷也」

造立者名

刻銘:「物阝(物部)、守圀(守国)

利生山(りしょうざん)永福寺跡石塔婆 (県指定文化財、鎌倉時代前期) 

石塔婆は、覆屋に安置されている。

利生山(りしょうざん)永福寺跡

薬師堂手前の道路を約10m、東へ戻った場所が石塔婆の発見場所という。

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利生山永福寺(りしょうざん えいふくじ) 薬師堂

利生山永福寺は、平安時代中期 長徳三年(997)に真言宗の寺院として創建され、のち廃寺となった。

江戸時代中期 享保六年(1721)に村民が小堂を再興した。天保年間(1830~45)には、この小堂が薬師堂と呼ばれ、現在に至っている。

 板碑(いたび)

*JR山陰本線「長門古市駅」下車、北方向へ徒歩 約24分。永福寺跡は、地元では「利生山(りしょうざん)」と呼ばれている。尚、国土地理院1/25,000「長門古市」の地図で、長門古市駅から北へ約1.2Km、標高60mの所に寺院の表示がしてある。そこが利生山永福寺 薬師堂。

(撮影:平成24年9月19日)