二尊院(にそんいん)五輪塔

 二尊院(にそんいん)五輪塔(山口県長門市油屋向津具下3598)

   二尊院は、大同二年(807)最澄の開山と伝える。五輪塔は、もと当寺にあった萩市 長寿寺十三重石塔と共に、鎌倉時代後期の作品で、中央の様式を持っている。

二尊院(にそんいん)五輪塔 (県指定文化財、鎌倉時代後期 、花崗岩、地輪下端からの高さ 153Cm)

風・空輪、別石で作られる。空輪は宝珠の形、先端は尖っている
本堂から少し離れた南側、墓地の一画に立っている 水輪球形で、下部がややすぼまった形状

火 輪 (梵字:ラ)

軒口厚く、両端で力強く反る。笠の傾斜も深い。

五輪塔は各輪に五輪塔四門の梵字を刻む。もと二尊院にあった萩市 長寿寺十三重石塔ともども、地方臭がなく中央の様式を持っている。

五輪塔 四門の梵字、上(空輪)から下(地輪)へ

キャ・カ・ラ・バ・ア   (東方、発心門)               キャー・カー・ラー・バー・アー   (南方、修行門)

ケン・カン・ラン・バン・アン   (西方、菩提門)         キャク・カク・ラク・バク・アク    (北方、涅槃門)

地  輪 (梵字「アー:向って左」と「ア」)

上端の中央がやや盛り上がり、水切りになっている。

地輪の梵字は、正面「アン(無量寿)」から右回りに「アク(天鼓雷音)」・「ア(宝幢)」・「アー(開敷華王)」で、胎蔵界四仏の種子が刻まれている

基  壇

長方形の切石を二枚合わせ、基壇とする

楊貴妃伝説と三基の五輪塔(中央部)

唐を抜けだした楊貴妃は長門に漂着し、まもなく亡くなった。その為、里人たちが寄り合い、二尊院境内に埋葬したと伝える伝説がある。

中央の五輪塔は、再建した楊貴妃の墓、左右は侍女の墓と伝えられている。

向って左側五輪塔(鎌倉時代後期、花崗岩、高さ114Cm) 右側五輪塔(鎌倉時代後期、花崗岩、高さ106Cm)

 功山寺(こうざんじ)宝篋印塔                            石仏と石塔-目次!

二尊院 本堂 (真言宗)

本尊は、釈迦如来立像(国・重文、清涼寺様式)と阿弥陀如来立像(国・重文)の二躰並立で祀られている。

また、阿弥陀像の胎内から、鎌倉時代中期 文永五年(1268年) 仏師「法橋院好」作の墨書銘が発見されている。

二尊院は「楊貴妃の里」と呼ばれ、本堂正面の石段横には、大きな楊貴妃像が建てられている。

五輪塔紀年順  大日寺(だいにちじ)五輪塔(伝 頼朝墓)(鎌倉時代後期)  五輪塔-紀年順-目次

*JR 山陰本線 人丸駅前からブルーライン交通 油屋島行きに乗車、「二尊院バス停」下車、すぐ。

(撮影:平成24年9月19日)