凌雲寺跡(りょううんじあと)宝篋印塔

 凌雲寺跡(りょううんじあと)(山口県山口市吉敷字中尾)

  宝篋印塔は、室町時代後期 享禄元年(1529)に没した大内義興の墓と伝える。しかし、様式は南北朝時代のもので古塔が残ったものと考えられている。

凌雲寺跡(りょううんじあと)宝篋印塔 (国史跡、南北朝時代前期、花崗岩、高さ 180Cm)

塔身正面、塔身は四面とも無地。山口県の宝篋印塔は無地が多い
大内義興が室町時代に開いた凌雲寺の跡に立っている。 塔身側面、塔身は四面とも無地。山口県の宝篋印塔は無地が多い

笠の段型は下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭付でやや外傾する。

相輪は下から、伏鉢、請花、九輪、請花、宝珠で、九輪目で折損し補修される。宝篋印塔は、すらりとして形が良く南北朝時代の様式。

基礎 正面

基礎上端は複弁反花、側面は輪郭を巻き、内に格狭間をつくり、正面のみ開蓮華文様を浮彫にする。

宝篋印塔は、永正四年(1507)頃に凌雲寺を開き、室町時代後期 享禄元年(1529)に没した大内家 第三十代当主 大内義興の墓と伝えられている。

しかし、宝篋印塔の様式は南北朝時代のもので時代が合わず、凌雲寺以前の古塔が残ったものと考えられている。

基 壇

二段積みで、切石で作られている。

国史跡、大内氏遺跡 凌雲寺跡

凌雲寺跡は、JR山口駅から北西に直線距離で 約5Km隔てた吉敷川上流の山間部にある。

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凌雲寺(りょううんじ)惣門 遺構 (国史跡)

凌雲寺が建っていた広大な台地の南端に、長さ 約60m、高さ 約3m、幅 約2mの石垣が巨岩をもって築かれ、その東西を横切っている。

これは、凌雲寺が通常の寺院としての役割の他に、有事に備えて城塞の役目を兼ね備えていたものと推定されている。

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*JR山陽本線 山口駅前からJRバス防長線・秋吉線に乗車、「中尾口バス停」下車、北方向へ徒歩 約23分。

(撮影:平成24年9月20日)