愛知県の塔

 興正寺(こうしょうじ)五重塔(愛知県名古屋市昭和区八事本町78)

  別名 「尾張高野」 と呼ばれる高野山真言宗の別格本山。愛知県下、唯一の木造五重塔をもつ

興正寺五重塔(重要文化財、江戸時代後期 文化五年 1808年、本瓦葺、高さ 30m)


四層部、高欄は組高欄(二層部も)、中備え中央間のみ撥束

三層部、擬宝珠高欄(五層部も)、中備えは中央間のみ撥束

初層3.93m角の小規模な塔で塔身が細長く、相輪が短い点で江戸時代後期の特徴を示す。心柱が心礎上に立つなど古式を伝える

興正寺は、天瑞円照(てんずいえんしょう)が貞享五年(1688)尾張二代目藩主 徳川光友の許可を得て建立した

塔は基壇の上に建ち、縁がない。中央間は尾張徳川家の家紋入り桟唐戸、脇間連子窓、中備えは中央間のみ撥束


二層部、二手先組物と軒(二軒繁垂木)

初層、組物の連続、軒のカーブなんとも美しい

相輪(写真:右)は型の通りだが、塔身にくらべ非常に短い。また、竜車が長いのが特徴

五重塔は、文化二年(1805)に興正寺七世真隆が一文講を発願、浄財を集め文化五年(1808)に完成した

塔の内部は、四天柱があり中央の心柱を大日如来に見立て、阿シュク(東)、宝生(南)、阿弥陀(西)、不空成就(北)の四如来坐像を安置する


初層、四隅の風鐸

初層、三手先組物。

江戸時代まで東山(女人禁制)と西山を分けていた中門(写真:左)も明治の女人禁制廃止後、五重塔前に移された

現在、興正寺は高野山真言宗の別格本山

圓 照 堂

興正寺の象徴である五重塔建立200年を迎えるにあたって永代供養・納骨殿として建立された

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興正寺本堂(江戸時代 寛延三年 1750年)

阿弥陀堂として建立され、現在の西山の本堂。真言念仏を専らとするために建てられた

*地下鉄 鶴舞線、八事駅下車、徒歩約8分。この寺院も、五重塔のそばに車がとめられる様になっており、それを避けるため朝7:00頃撮影した。お参りに来られる人も少なく、太陽の光がやわらかで大変気持ちのいい時間が持てた。

(平成18年8月16日撮影)