笠覆寺(りゅうふくじ)多宝塔(笠寺観音)(名古屋市南区笠寺町上新町83)

  笠寺観音の名で親しまれている尾張四観音の一つ、真言宗智山派の寺院

笠覆寺多宝塔(市指定文化財、江戸時代初期 正保年中 1644〜7年、銅板葺、一辺 4.83m)


上重、軒は扇垂木、高欄は逆蓮柱を付す

初重、組物は出組、軒は二軒繁垂木

笠覆寺は、天平年間(729〜749)禅光上人が呼続(よびつぎ)の浜に漂着した霊木で十一面観音を刻み一宇を建立したのに始まる。

塔は、擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間桟唐戸、脇間連子窓、中備えは三間とも蟇股


上重、扇垂木、組物は四手先

下重、柱は円柱で粽(ちまき)を付す

始め 小松寺と称したが、延長年中(923〜930)藤原兼平が堂宇を再興し、現在の寺号に改めた

塔の内部は四天柱と来迎壁があり宝冠阿弥陀如来を安置する


下重、中備えの蟇股

下重、手挟み

嘉禎四年(1238)僧阿願が朝廷に願い出て、宣陽門院庁より田畑の寄進を受け堂塔を建立し、真言密教の一大道場になった

笠覆寺山門(仁王門)(江戸時代後期 文政三年 1820年、三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺)

笠覆寺西門(江戸時代 文化十一年 1814年、一間薬医門)

いかにも、下町、笠寺観音の風景

 愛知県の塔 長谷院(ちょうこくいん)多宝塔                   日本の塔-目次

笠覆寺本堂(江戸時代 宝暦13年〜文政11年 1763〜1828年、桁行七間、梁間七間、入母屋造、本瓦葺

*名鉄 本笠寺駅下車、徒歩5分。多宝塔は愛知県下最大のもので、見所も多い。上重がすっぽり網に囲まれているので、組物の美しさが参拝客には見られない。大工が、精魂こめて造った組物や、扇垂木がかすんでいる。鳥による糞害など手のかからないようにしたい気持ちも分からないではないが、時代を超えてきた建造物をそのままの形で見たい。

(平成18年8月16日撮影)