知立神社(ちりゅうじんじゃ)多宝塔(愛知県知立市西町神田12)
江戸時代、東海道三社の一つに加えられた三河第一の名社
知立神社多宝塔(重要文化財、室町時代後期 永正六年 1509年、こけら葺、高さ 約10m)
上重、四手先組物、亀腹は板張り、軒は二軒繁垂木 |
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下重、出組、軒は二軒繁垂木 |
知立神社は、池鯉鮒大明神と呼ばれ、江戸時代東海道三社の一つに加えられた三河国第一の名社
多宝塔は、擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、正面 中央間桟唐戸、脇間連子窓、他の三面は板張り、中備えはない
上重、軒(二軒繁垂木) |
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下重、出組、軒は二軒繁垂木 |
相輪は大正時代の修理で新しく取り付けられた
社伝によれば、嘉祥三年(850年)円仁が神宮寺を創立し、多宝塔を建立した。
現存する多宝塔は、永正六年(1509)に重原城主、山岡忠左衛門が再建した
上重、四手先組物 |
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下重、擬宝珠高欄を付した縁 |
明治の神仏分離令の際には、祀られていた愛染明王を総持寺に移し、相輪を除き、瓦葺にかえ、「知立文庫」と名を変え、取り壊しを免れた
知 立 神 社 拝 殿
この日は、七五三のお参りに、たくさんの人々が、参詣されていた
内部は、来迎柱と来迎壁があり、その前に厨子をおく | 毎年5月2、3日の「知立まつり」に繰り出される山車 |
* 名鉄名古屋本線 知立駅 下車 徒歩 約10分。今回(H18.11.5)は、七五三のお参りに来られた方で、境内が車でいっぱい。ひっきりなしに、車が出入りする。前回は、「知立まつり」で、人がいっぱい。知立神社に来たときは人がいっぱい。なにか、縁があるのかもしれない。
(平成18年11月5日撮影)