金胎寺(こんたいじ)多宝塔(相楽郡和束町原山鷲峯山)

  金胎寺は、鷲峰山(じゅうぶざん)標高685mの山頂にある。修験道の道場として知られる真言宗醍醐派別格本山

金胎寺多宝塔(重要文化財、鎌倉時代 永仁六年 1298年、こけら葺、高さ 13.9m)


上重、四手先組物

組物と木鼻(赤い塗料が残っている)

寺は白鳳四年(675年)役行者の開創と伝えられている。以後、良弁・行基・鑑真・弘法大師 等が修行し真言密教の大道場になった

塔は高欄のない縁をめぐらし、中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは中央間のみ双つ斗の花肘木をおく


下重、軒の風鐸



相輪部

下重、軒(二軒繁垂木)と双つ斗の花肘木

永仁六年(1298年)伏見天皇が勅して塔を建立した。元弘元年(1331年)後醍醐天皇が奈良より行幸し大軍を集めようとしたが地形的に適さず、笠置山に向かった

後醍醐天皇の後を追う鎌倉幕府軍によって、寺は焼き討ちされ、さらに暦応三年(1340年)の出火により堂塔を失った。

下重の出組と軒(二軒繁垂木)(軒の滑らかさが特別に美しい)。柱は、円柱


相輪の宝珠

相輪の露盤・覆鉢・請花(下から)

寺院は、元弘の兵火で、多宝塔を除きことごとく焼失した

原山のバス停から、茶畑を通り山道を約一時間歩き寺院にたどり着く。山の傾斜に開けた茶畑が、インドのダージリンの風景に似ていた

こけら葺の屋根、陽の光を受けて厳かな風景が広がる

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門扉の彫刻文様
宝篋(ほうきょう)印塔(重要文化財・鎌倉時代・高さ 2.85m)) 金胎寺本堂

宝篋印塔は山頂にあり、正安二年(1300年)の刻銘がある

(平成16年11月7日撮影)