智恩寺(ちおんじ)多宝塔(京都府宮津市天橋立文殊466)

  日本三景、天橋立の起点として、日本三文殊の寺院として栄えている

智恩寺多宝塔(重要文化財・室町時代 明応十年 1501年・こけら葺・高さ 18.1m)


上重の高欄は、四方に切れ目を持つ。軒は二軒繁垂木

下重、組物は出組、軒は二軒繁垂木

多宝塔は、丹後地方唯一の室町時代の遺構であり、明応九年(1500)ちょうな始めが行われ、翌十年(1501)四月に落成した

多宝塔は、上重の柱等に記された墨書銘により、丹後国守護代で府中城主 延永修理進晴信により建立されたことが知られる

塔は、石造基壇を持ち、高欄のない縁をめぐらす、中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは中央間二つ斗(双斗)、脇間間斗束


上重の廻縁の腰組みが出組になっている

下重、中備えの中央間は二つ斗(双斗)

智恩寺は「知恵の文殊」と呼ばれ、また地名から「切戸の文殊」・「九世戸の文殊」とよばれ古くから信仰の厚いところ

寺伝によれば、開創は醍醐天皇の延喜年間(901〜922)と言われている


下重、拳鼻(こぶしばな)付の出組

下重、屋根の軒反りが美しい

多宝塔の内部は、来迎柱が立ち、前方に須弥壇をつくって中央に大日如来を安置する

来迎壁の背面には造塔の奉行を務めた丹後一宮大聖院の住僧智海が、「八十余歳書之・智海」の署名を入れた不動明王像が描かれている

文殊堂(宝形造・銅板葺・正面五間、側面六間・内陣は三間四方)、内陣に重文の騎獅文殊菩薩坐像を祀る

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石造地蔵菩薩立像(市指定文化財・室町時代)

山門(市指定文化財・明和四年 1767年上棟・唐様)

宝篋印塔(ほうきょういんとう)(左側写真)は和泉式部の歌塚と呼ばれている(市指定文化財・鎌倉時代)

*北近畿タンゴ鉄道 天橋立駅下車 徒歩5分

(撮影:平成16年11月27日・平成19年1月3日)