信濃国分寺(しなのこくぶんじ)三重塔(長野県上田市大字国分1049)

  塔の残っている国分寺の中でいちばん古い塔を持つ。別称の「八日堂」で親しまれている

信濃国分寺三重塔(重要文化財、室町時代中期、銅板葺き、高さ 20.1m)


三層部、三手先組物、軒は二軒繁垂木

二層部、三層部と同じ。組高欄を設ける

聖武天皇が仏教を鎮護国家の宗教と位置づけ勅願して国ごとに建立を義務づけた国分寺(七重塔がかなりあった)は、

全国六十ヶ寺以上にのぼるが、今日塔が残っているのは五寺(備中・豊前・飛騨・越後・信濃)にすぎない。ここの塔が一番古い。

三重塔は、高欄のない縁をめぐらせ、中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは束のない間斗束


二層部、軒と三手先組物

初層、軒反りが強く壮麗

天平年中に建てられた国分寺は、939年の平将門の乱により焼失したと伝えられ、その後室町時代に三重塔が再建された

屋根は本来こけら葺だったが、今は銅板葺。軒反りが非常に強い


初層部、三手先組物と軒(二軒繁垂木)

初層部、三手先組物

塔の内部は、四天柱、来迎壁・須弥壇があり大日如来坐像を安置する

本堂裏には蓮池があり、季節には蓮の花が美しく咲いている

信濃国分寺本堂(県指定文化財、江戸時代後期 万延元年 1860年、桁行六間、梁行四間、入母屋造)

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静かなたたずまいの信濃国分寺

最初の国分寺の塔蹟(現在地より約300m南)

関が原の戦の時、徳川秀忠と真田昌幸はこの寺院で講和した

*JR上田駅よりバス10分または、しなの鉄道信濃国分寺駅下車、徒歩7分

(平成18年8月12日撮影)