餘慶寺(よけいじ)三重塔(岡山県瀬戸内市邑久町北島1178)

  天平勝宝元年(749年)報恩大師によって開山された備前四十八ヶ寺のひとつ。天台宗の寺院

餘慶寺三重塔(県指定文化財、江戸時代 文化十二年 1815年再建、本瓦葺、高さ 20.6m)


三層部、軒は扇垂木、中備えは中央間のみ間斗束

二層部、軒は二軒繁垂木、中備えは三間とも間斗束

餘慶寺は報恩大師により開山され、往古には日輪寺と称した。平安時代には慈覚大師が再興し本覚寺と改めた。

その後、近衛天皇の勅願所となり餘慶寺と改め国家安泰と五穀豊穣を祈願した

塔は擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間桟唐戸、脇間連子窓、中備えは正面中央間のみ蟇股、脇間は間斗束


三層部、扇垂木、組物は三手先組物

初層、三手先組物。持ち送りには彫刻が施されている

武家時代には、赤松則宗、宇喜多氏、池田藩主の尊崇と保護を得ておおいに栄えた

塔、四隅の鬼瓦(表情が面白い)


塔正面、中備えの中央間のみにある蟇股

初層、中備え脇間にある間斗束(中央間はない)

塔の内部は四天柱のみあり大日如来坐像を安置する

三重塔の棟札(むなふだ・県文)には工匠として宿毛村の田淵市左衛門と田淵宇三郎の名が記載され、社寺建築の大工集団としての邑久大工を知る上での資料となっている

餘慶寺本堂(観音堂)(重要文化財、江戸時代)

正面須弥壇には慈覚大師作と伝えられている秘仏千手千眼観世音菩薩を安置する

御前仏には観音聖地普陀山より勧請した千手観音像が東向きに祀ってある(東向き観音)

 山陽路・岡山県の塔  五流尊瀧院三重塔                     日本の塔-目次


餘慶寺本堂外観(重文・正徳四年 1714年再建)

薬師堂(江戸時代 享保十九年 1734年再建)

法華塔(写真左・江戸時代 宝暦十年 1760年建立)は、現在の三重塔の場所に建てられていたことが古地図に描かれている

源平合戦の頃焼失したとされる旧三重塔にかわり建立され、現三重塔再建時に現在の位置に移された

(平成17年9月3日撮影)

*JR赤穂線の大富駅下車、徒歩 約20分。今も巡礼の方が見えられる信仰の寺院。丘の上に広がる山内には、諸堂が伽藍を連ね、塔頭は現在六院を数える。