宗本寺(そうほんじ)(群馬県吾妻郡中之条町下沢渡494)
宝篋印塔は関東地方特有の二重形式で、基礎側面に南北朝時代前期 康永三年(1344)の紀年銘がある。
宗本寺二重宝篋印塔(大)(県指定文化財、南北朝時代前期 康永三年 1344年、安山岩、高さ 202Cm)
二層目軸部、輪郭を巻き四方仏の種子を刻む (正面) | ||
本堂に向かって左手奥、覆屋の中に安置されている | 二層目軸部、輪郭を巻き四方仏の種子を刻む (北面) |
二層目 笠
笠の段型は、下二段、上四段、四段目は露盤とする。隅飾は三弧輪郭付で、裾に蕨手をつけ、正面のみ内部に月輪を陽刻する。
二層目軸部、輪郭を巻き四方仏の種子を刻む (背面) | ||
二層目軸部、輪郭を巻き四方仏の種子を刻む (南面) | 宝篋印塔は、関東特有の二重形式になっている。 |
軸部の種子は、正面:「サ(観音)」、北面:「キリーク(阿弥陀)」、東面:「バク(釈迦)」、南面:「バイ(薬師)」に見え、顕教四仏の変形だろうか?。
初層 笠
方形の高欄(勾欄)で、中央に階段を設け、下に二段の段型を刻出する。
相輪は、下から伏鉢、請花、九輪、請花、宝珠で、九輪は下方で接続修理を施す。請花は、上下とも単弁。 |
基礎正面・初層軸部
基礎上端は二段、その上に低い初層軸部を作り出す。基礎側面は二区に分け、内に銘文を刻む
基礎正面、向かって左側内銘文 | 基礎正面、向かって右側内銘文 |
基礎正面の銘文:「上野国吾妻庄河戸村内山田住人、大檀那四郎二郎入道 奉造立塔也、右志者為過去慈父悲母之幽儀、
乃至法界衆生平等利益也、康永三年(1344)甲申卯月上旬、大檀那四郎二郎入道」
康永三年(1344)四月に、吾妻庄河戸村内山田の住人 「四郎二郎入道」が大檀那となって、亡き父母の菩提を弔い、併せて法界平等利益を願って、この宝篋印塔を造立した。
基礎 東面
正面を除く三面は、側面二区で、内に格狭間をつくる
二重宝篋印塔 二基
二基並んで覆屋に安置されている。向かって左が、康永三年(1344)銘。右が、康永四年(1345)銘 宝篋印塔
宗本寺(そうほんじ) (浄土宗)
南北朝時代末期 康応元年(1389)に創建されたと伝える
宝篋印塔紀年順 | 無量光寺(むりょうこうじ)康永三年銘 宝篋印塔(南北朝時代前期) | 宝篋印塔-紀年順-目次 |
*JR吾妻線 中之条駅前から関越交通バス 四万温泉行きに乗車、「沢田農協バス停」下車、北東方向へ徒歩 約8分。
(撮影:平成23年10月31日)