浄土寺(じょうどじ)五輪卒塔婆 二基

 浄土寺(じょうどじ)五輪卒塔婆(広島県尾道市東久保町20-28)

  境内の東端と境外の西端に立てられている五輪卒塔婆で、結界石と呼ばれている。結界石は、清浄な寺院内と外相を分ける標石で、本来寺院の外周に立てられた。

浄土寺(じょうどじ)五輪卒塔婆 東塔

浄土寺(じょうどじ)五輪卒塔婆 東塔(結界石)(鎌倉時代中期~後期、花崗岩、高さ 254Cm)

境内の東端の入口に立つ。石柱の上に五輪塔形を一石で彫成、石柱(地輪)の四面上部に四方仏の種子、三面に長文の銘文を刻む。

五輪塔形

鎌倉時代の作風をしめす。

地輪部 正面、四方仏の種子

正面(西面)は、釈迦如来(南方)の種子を薬研彫する。

地輪部 北面、四方仏の種子(キリーク:阿弥陀如来、西方) 地輪部 南面、四方仏の種子(ウーン:阿閦如来、東方)

南面は阿閦(あしゅく)如来(ウーン、東方)の種子を刻む。通常、顕教四仏では薬師如来が位置するが、阿閦・薬師同体の密教思想から薬師の位置に阿閦如来をおいている。

於美阿志(おみあし)神社 十三重石塔(奈良県明日香村) の初層軸部に同様の種子が刻まれている。また、四方仏の位置が、現在、正面(西面)に本来南方の釈迦如来の種

子が位置し、移動または建替えが行われた際、90度 反時計回りの方向に設置されている。北面は、後方壁面との間隔が狭い為、種子名は確認できなかったが西塔「バン:

日如来」と思われる種子を刻んでいる為、この四方仏は顕教四仏[バイ:薬師(東)、バク:釈迦(南)、キリーク:阿弥陀(西)、ユ:弥勒(北)]の変形と思われる。・・・・・・・・・

正面地輪部、種子の下に「卒塔婆開眼の偈」と三行の銘文を刻む。 正面地輪部、上方「卒塔婆開眼の偈」

地輪部の銘文は三面に刻まれているが、磨滅が激しく、正面(バク面)の銘文だけが明らかにされている。

卒塔婆開眼の偈(げ):「一見卒塔婆(いっけんそとば)、永離三悪道(ようりさんなくどう)、何况造立者(がきょうぞうりゅうしゃ)、必定成菩提(ひつじょうじょうぼだい)

[ 一たび卒塔婆(塔)をみれば、永く三悪道(餓鬼・畜生・地獄)を離れられる。何ぞいわんや塔を造立するものは、必ず菩提を成ずることができる ]

通常、この偈は四句目が「必生安楽国(ひっしょうあんらくこく)(必ず安楽国に生まれることができる)であるが「必定成菩提」としている。

地輪 正面下方の銘文

銘文:「右志者、前奉訪」「前亡、後成仏霊等」「出離生死、頓證菩提」

浄土寺(じょうどじ)五輪卒塔婆 西塔

浄土寺(じょうどじ)五輪卒塔婆 西塔(結界石)(鎌倉時代中期~後期、花崗岩、高さ 218Cm)

境外の西端に立つ。東塔と同様、石柱の上に五輪塔形を一石で彫成、石柱(地輪)の四面上部に四方仏の種子、下方に長文の刻銘を刻む。

五輪塔形

鎌倉時代の作風をしめす。

地輪部 南面、四方仏の種子(バン:大日如来、北方)

種子は一見、「タン(多羅菩薩)」に見えるが四方仏の種子には合わない。

種子は、大日如来の種子「バン」が摩耗した時に見られる形で、沢家墓地板碑群(霧島市)等に見られる。

地輪部 西(背)面、四方仏の種子(ウーン:阿閦如来、東方) 地輪部 東面、四方仏の種子(キリーク:阿弥陀如来、西方)

西(正)面は阿閦如来(ウーン、東方)の種子を刻む。東塔で記した様に顕教四仏では、東方に薬師如来が位置するが、阿閦・薬師同体の密教思想により阿閦如来をおく。また、

四方仏の位置が、現在正面(西面)に本来東方の阿閦如来の種子が位置し、移動等が行われた際、本来西方(正面)の阿弥陀種子が傷んでいる為、180度 逆に設置されている

地輪部 北面、四方仏の種子(バク:釈迦如来、南方)

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浄土寺(じょうどじ)山門 (重要文化財、室町時代初期、四脚門、切妻造、本瓦葺)

側面の板蟇股に、足利家の家紋 「二ツ引両」がつけられ、足利家ゆかりの寺院であることを物語る。

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*JR 尾道駅前より おのみちバス市内本線東行きに乗車、「浄土寺下バス停」下車 すぐ。

(撮影:平成24年9月23日)