筥崎宮(はこざきぐう)石燈籠

 筥崎宮(はこざきぐう)(福岡県福岡市東区箱崎1-22-1)

  千利休が天正十五年(1587)に奉納したと伝える石燈籠で、伊派石大工 伊行長 観応元年(1350)の作品。もとは、石清水八幡宮の神宮寺である大乗院のもの。

請花・宝珠、請花は覆輪付単弁の蓮弁、宝珠の形も良い

筥崎宮(はこざきぐう)石燈籠 (重要文化財、南北朝時代前期 観応元年 1350年、花崗岩、高さ 261Cm)

六角型石燈籠で、本殿の向かって右側、奥まった所に立っている。

蕨手(わらびて)が美しく立ちあがり、軒反は小さい。

火  袋

火口二面、残る四面は陽刻蓮華座上に丸窓を穿っている。

上区は二区横連子、下区は二区で花菱文を浮彫にする。火袋の底に九行に亘って刻銘がある。

刻銘:「奉起立、八幡大乗院金堂燈炉事、右志者、当寺開山尊霊、迎三十三年之逮忌、為奉資彼普賢行願、

起立燈炉而已、観応元年(1350)、庚寅、六月廿八日、勧進尼了法、幷一結衆等、敬白、大工井行長」

京都 石清水八幡宮の神宮寺である大乗院の燈籠。大和西大寺 叡尊が大乗院を中興した関係で、大和石大工の伊行長が石燈籠を作る。

伊行長は、大和地方に鳳閣寺(ほうかくじ)石造宝塔東大谷日女(ひめ)神社 石燈籠の作品を残している。伊派の作品については「伊派石大工の作品」を参照。

中  台

上端は火袋請座を繰形で作り出し、下端に覆輪付単弁の蓮弁、側面は五面が二区で走獅子、残る一面は二区で枝のついた牡丹を浮彫にする。

竿(さお)は円柱で、三節をつくり、中節は外に出張る。この出張りや火袋の下区 花菱紋に、南北朝時代に入った特長が見られる。

石燈籠は大和系で、上記南北朝時代の特徴を除いて、細部は奈良県山添村 神波多神社石燈籠(正和元年:1312年)に良く似ている。

基  礎

基礎は六角形で、上端に複弁反花、中央の竿受け円座の周りに小蓮弁、側面は二区に分かち各々格狭間をつくる。

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筥崎宮石鳥居(重要文化財、安土桃山時代 慶長十四年 1609年、安山岩、高さ 475Cm)

筥崎宮(筥崎八幡宮)は、大分県の宇佐八幡宮、京都の石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮に数えられている。

 石燈籠(いしどうろう)

*JR鹿児島本線 「箱崎駅」下車、南西方向へ徒歩 約8分。この日は、日曜日で参拝者が多く、お祓いや祈願の人が列をなしていた。石燈籠は本殿の横にあり、気安く入れないのであきらめかけたが、本殿を囲む板塀に小指ほどの節穴があったので、そこから望遠レンズで撮影、一部合成した。

(撮影:平成24年1月29日)