筒野(つつの)曼荼羅 自然石塔婆

 筒野曼荼羅自然石塔婆(筒野五智如来板碑)(福岡県飯塚市筒野)

  英彦山信仰の古い石塔婆で、表面中央に胎蔵界曼荼羅 中台八葉院を刻む。背面に、平安時代後期 養和二年(1182)の紀年銘がある。

筒野(つつの)曼荼羅自然石塔婆 (県指定文化財、平安時代後期 養和二年 1182年、砂岩、高さ 146Cm)

自然石の表面を三段に分け、上段に五智如来像、中段に胎蔵界曼荼羅 中台八葉院、下段に彦山三所権現像を刻む。背面に刻銘がある

五智如来 (石塔婆 上段)

胎蔵界大日如来を中尊とし、無量寿、天鼓雷音、宝幢、開敷華王の五仏が列坐する。

五智如来の上方、円形の穴は金属製の鏡がはめ込まれていたと推定されている。

胎蔵界曼荼羅 中台八葉院 (石塔婆 中段)

中台八葉院は、大日如来の周囲に四如来と四菩薩、四隅に四天王の種子を配する

増長天の種子「ビ」 文殊菩薩の種子「マン」 - - 無量寿の種子「アン」 - - 観自在菩薩の種子「ボ」 持国天の種子「チ」
-- - - - - -- -- - - - -
開敷華王の種子「アー」 - - ----胎蔵界大日如来の種子「アーク」---- - - 天鼓雷音の種子「アク」
- - - - - - -
広目天の種子「ビ」 普賢菩薩の種子「アン」 - - 宝幢如来の種子「ア」 - - 弥勒菩薩の種子「ユ」 多聞天の種子「バイ」

中央の大日如来四如来(黄文字色)四菩薩(青文字色)・四隅に四天王

胎蔵界曼荼羅 中台八葉院を刻んだ作品には、大日堂胎蔵界曼荼羅板碑(埼玉県寄居町)や来迎寺両部曼荼羅板碑(京都府向日市)などがある。

どちらも、文殊菩薩は梵字「ア」で表され、中央の胎蔵界大日を取巻く種子は、ここと上下・左右が逆(180度回転した形)に表現されている。又、持国

種子通常「ヂリ」で表されるが、ここでは梵字の基本文字「タ」にイ点のついた「チ」で刻まれている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彦山三所権現の神像 (石塔婆 下段)

石塔婆 下段に「彦山三所権現」の神像三体が、半肉に刻まれている。

五智如来、中央の胎蔵界大日如来 (石塔婆 上段) 彦山三所権現、中央の神像(石塔婆 下段)

石塔婆 背面の刻銘

刻銘(全文):「勧進僧圓朝、奉立石躰、五智如来像、彦山三所権現、八葉曼荼羅梵字、

現世末代行者修理、養和二年(1182)、歳次、壬寅、八月初四日、壬刁、時正中」

この刻銘から、上段の五仏が五智如来で、下段の三神像が彦山三所権現であることがわかる。

刻銘、終りの二行  刻銘 (最初の二行):「勧進僧圓朝、奉立石躰」

刻銘 (最初の二行):「勧進僧圓朝、奉立石躰」

刻銘(終りの二行)「養和二年(1182)、歳次、壬寅、八月初四日、壬刁、時正中」

勧進僧円朝が平安時代後期 養和二年(1182)に造立した石塔婆で、初発期の石塔婆造立に勧進僧が深く関わっていることを示す貴重な作品。

蓮台上に刻まれた五智如来

向かって左側の自然石塔婆 向かって右側の自然石塔婆
右側の刻銘:「ア・ビ・ラ・ウーン・ケン」(大日如来報身真言) 右側の刻銘:「ア・ラ・ハ・シャ・ナウ」(大日如来応身真言)
左側:「アーク・アク・アン・アー・ア」(胎蔵界五仏の種子) 左側:「ア・バン・ラン・カン・ケン」(大日如来法身真言)

左右の石塔婆には、下から上に大日如来三身真言と胎蔵界五仏の種子が刻まれている。

胎蔵界曼荼羅 中台八葉院中心の梵字「アーク」

平安時代末期に刻まれた梵字は、力強く美しい。

 米一丸(よねいちまる)九重石塔                          石仏と石塔-目次!

石塔婆収容の覆屋

覆屋の背面にガラスサッシが組込まれ、石塔婆背面(刻銘)が見られる。

ここは権現谷と呼ばれ英彦山の裏街道にあたるという。ここ筒野権現は、英彦山ゆかりの一大修験道場

 板碑(いたび)

*JR後藤寺線 「筑前庄内駅」下車、南東方向へ徒歩 約50分。

(撮影:平成24年1月30日)