城泉寺(じょうせんじ)(明導寺)七重石塔

 城泉寺(じょうせんじ)(明導寺)七重石塔(熊本県球磨郡湯前町瀬戸口区)

  城泉寺にあった石塔は、鎌倉時代前期 寛喜二年(1230)銘が三基ある。城泉寺には二基残り、残る一基は八代市の米家にある。

城泉寺(じょうせんじ)(明導寺)七重石塔(重要文化財、鎌倉時代前期 寛喜二年 1230年、凝灰岩)

初層軸部 正面、二重円光背を彫りくぼめ定印阿弥陀坐像を半肉彫りする
重文の阿弥陀堂に対面して、向かって左側に立っている 初層軸部 側面、二重円光背を彫りくぼめ定印阿弥陀坐像を半肉彫りする

初層軸部は九重石塔と同様、四面とも二重円光背を彫りくぼめ、内に蓮華座上に坐す定印阿弥陀像を半肉彫りする。軸部正面、阿弥陀坐像の左右に銘文が刻まれている。

初層 屋根

軒は緩く反り、軒下は二重の垂木型、軒先に隅木を刻出する。

初層軸部 背面、二重円光背を彫りくぼめ定印阿弥陀坐像を半肉彫りする
初層軸部 側面、二重円光背を彫りくぼめ定印阿弥陀坐像を半肉彫りする 石塔は、屋根と軸部を別石にして積重ねる古い形式のもの

初層軸部 正面

軸部は、横幅が広く安定感があり、正面の阿弥陀坐像の左右に銘文を刻む。

銘文:「奉造立七重石塔口口、為往生極楽也幷為、四生皆佛口、口代口之状如口」

「寛喜二年(1230)、庚刁(寅)十一月日、大願主沙弥浄心、大工幸西、小工栄幸、院主念西」

浄心の極楽往生を願って、自身がこの七重石塔を寛喜二年(1230)に造立した。大工は九重石塔と同様、幸西で弟子の栄幸の名前も刻まれている。

初層軸部正面、阿弥陀坐像の向かって左側刻銘 初層軸部正面、阿弥陀坐像の向かって右側刻銘

右側刻銘:「奉造立七重石塔口口、為往生極楽也幷為、四生皆成佛口、口代注之状如口」

左側刻銘:「寛喜二年(1230)、庚刁(寅)十一月日、大願主沙弥浄心、大工幸西、小工栄幸、院主念西」

基 礎

新補の基壇上に、背の低い方形基礎を載せる。基礎は、一枚石。

四・五・六層目軸部、五層目笠、相輪は新補。相輪は下から露盤、九輪、請花、宝珠で、下側の請花・宝珠の代わりに露盤を置いている
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二層目軸部 側面、定印の阿弥陀坐像を刻む 二層目軸部 背面、定印の阿弥陀坐像を刻む

城泉寺(じょうせんじ)七重石塔及び九重石塔(重要文化財、鎌倉時代前期 寛喜二年 1230年、凝灰岩)

阿弥陀堂に対面して二塔が立っている。

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城泉寺(明導寺)石塔 群

左と中央の七・九重石塔が、重要文化財。右端に見える十三重石塔は、元あった石塔(現在、八代市)を平成になって復元したもの。

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*くま川鉄道 湯前線 「湯前駅」下車、南東方向へ 約3.6Km。駅前の「ふれあい交流センター 湯~とぴあ」にレンタサイクルがある。

(撮影:平成24年1月25日)